ちょっとそこのお兄さん。
 このあたりでは、お見かけしない顔ですね。もしかして旅人さんですか。ああ、そんな警戒をなさらず。わたしはここいらで、しがない煉瓦職人をしている者でね。ええ、これが今日焼いた煉瓦たちです。とてもいい焼き色でしょう? わたしの焼いた煉瓦は風雨にさらされても、まったく頑丈で、何より色が美しいと、このあたりじゃたいそう評判なんですよ。え、なんであなたに声をかけたかって? いえね、あなたの髪と目の色がわたしの昔住んでいた国にとても似ていたものだから、つい……ね。一年の半分を砂に覆われたあの国でしょう。おや、ちがう? 長く離れているうちにわたしの目も鈍ってしまったのかなあ。ふふ、お兄さん。その重たげな荷物はこっちの荷台に乗せるといいですよ。ああ、ほらまた、警戒心の強い目をする。こんな重い煉瓦を乗せた荷車を引いて、あなたの荷物なんか盗めませんって。まったく信用ないんだな。うん、ふふ。まあいいよ、あなたも苦労しているんだねえ、お兄さん。でも、街門まで道中一緒に歩くくらいはいいでしょう? 煉瓦はいいんだけれど、運ぶのが大変でね。ひとりで引いていると、結構、しんどいんだ。その間の話し相手になってくれるだけでも、とてもうれしいものなんだよ。
 お兄さんは、何故この小さな街へ? ああ、また答えない。いいよ、じゃあわたしの話をするから。わたしはね、昔、一年の半分を砂に覆われた国でやっぱりこんな風に煉瓦を焼いていたんだ。あの頃はまだ今よりずっと、下手くそだったけれどねえ。捨て子だったからね、わたしは。拾ってくれた師匠の工房で毎日土をこねて、薪を割って、煉瓦の作り方を覚えたよ。一年の半分を砂に覆われたあの国はね、王宮の前に、それは美しい煉瓦の道が敷かれていたんだ。道はいつだってぴかぴかに整えられているんだけれど、それはね、街の名立たる煉瓦職人たちが端の欠けたものや脆くなってしまったものを大事に直して、使っているからなんだよ。おや、驚いた顔をしているね。王宮へ至るあの道は、国一の美しい街道だって讃えられてきた。だけれど、あの道が美しいのにはこんな秘密があったというわけ。
 ひとつね、不思議な煉瓦を見つけたことがあったよ。端っこのほうが焦げて、痕が残っているの。わたしは、これはいけない、上から土を混ぜた粉薬をかけてやらないと、と師匠に言ったんだけれど、師匠は、いい、いい、残しておけって言うんだ。あの道をぴかぴかにすることに人生を捧げていた師匠がそんなことを言うから、なんだか不思議でねえ。どうしてそんなことを言うんだろうって尋ねたら、そっと教えてくれた。一年の半分を砂に覆われたあの国にはね、昔、雨の王子と呼ばれたかわいい王子様がいたのさ。わたしの師匠は王子様とたいそう仲良くってねえ。わたしもたまにだけれど、小さな王子様が目をいっぱいに輝かせて窯をのぞいているのを見かけたよ。わたしはいつだって煤と泥で汚れていたから、恐れ多くて王子様とは話せなかったんだけれど。その王子様がね、いじめられている花売りの女の子を助けたらしいのさ。花売りは足を悪くしていてねえ、悪い奴らが面白半分に女の子の花に火をつけた。女の子はかわいそうに、驚いてしまってねえ。燃えている花をそれでも拾い上げようとしてしまったの。そのとき王子様が女の子を押しのけて、煉瓦に燃える花ごと手を押し付けた。王子様は手を大火傷。そしてね、煉瓦の道には花の形の焦げ跡が残ったっていう話だよ。師匠は壊れた煉瓦たちの補修をしながら、これだけは残しておくんだって言って聞かなかった。あのひとはたぶん、本当に王子様を愛していたんだろうなあ。王様になってからは王子様ももうあんまり工房には顔を見せてくれなくなってしまったけれど、『雨の王』の話をするときの師匠はいつもが嘘みたいに饒舌で、楽しげだったのを覚えてる。
 師匠がそのあとどうしたかって?
 あのひとはね、そうだね。もう死んだよ。
 雨の王の次の治世になってからねえ、いろんなことが難しく、厳しくなってしまってねえ。それでも師匠は煉瓦を直し続けていたんだけれど。雨の王がいなくなってからふっつり雨が降らなくって、煉瓦がどんどんひび割れて、壊れていってしまってねえ……。毎日、毎日、直していたけれど、ある朝にね、帰ってこない師匠が心配になって探しに行ったら、煉瓦の道の隅っこのほうで冷たくなっていたよ。その手には補修用の粘土が握られていた。そうだね、あのひとは煉瓦のひとつになってしまったんじゃないかなあ。わたしはそんな気がしているよ。
 ふふ、なんだ、泣いてくれているのかお兄さん。
 そんな、もう立派な歳のお兄さんが泣かないでって。あいたかった? 会いたかったって師匠に? そうだね。わたしも会いたいねえ……。いいよ、存分に泣きなよ。荷物はそこの荷台に置いて。ええ、スッたりなんかしないよ。お兄さんもきっと苦しくて長い旅をしてきたんだろう。そんな気がするよ。わたしもたぶん、この街にたどりついた頃はそんな顔をしていたから。待っている家族はいるのかい? そうか、奥さんと子どもたちがこの街に。そうか、そうか。なら、早く帰ってあげなよ。きっと皆がお兄さんを待っているよ。
 
 御礼? いいよ、わたしも久しぶりに思い出話ができたから。
 新居に必要になったら、またわたしを呼んでくれ。わたしの煉瓦は焼き具合もよくって、一等品だからねえ。うんうん、じゃあね。じゃあ……。

 ***

 ね、師匠。遠くなっていきますよ、あの方の背中が。
 よかったねえ、ずっとあの方のことを気にかけていたのだから。
 わたしにはね、もう目に浮かんでますよ。深く傷ついて、長い旅に出ていた男を迎える、足の悪くしなやかな、花売りの娘の姿が。子どもたちの姿が。きっと少し叱って、だけれど温かく迎えるんでしょう。そうしたらあの方はきっとね、忘れていた笑顔を取り戻すんだとわたしは思いますよ。そうでしょう? ああ、夕日があの方の背中をきらきらと照らしている。明日もきっと晴れるね。ねえ。おかえりなさい、雨の王。

……「帰路」了




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(「王様と花売りのその後」@『a Fairy tale, a Fair liar』)



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