特別身体が弱いというわけではないのだが、少し繊細なところのある男は、花の季節になると、思い出したように熱を出す。葛ヶ原の冬は厳しく、春は遅い。それでも、厚く地を覆う雪がまだらに解け始め、蕗の薹が黄がかった緑の顔を出し、沢の水がぬるむようになると、男は、こん、こん、と乾いた咳をするようになる。外気は春に様変わりするのに、男の身体は未だ冬のままで、だから気分が悪くなるのだと、男は苦笑混じりに言うが、そういう細かな機微のわからぬ少女には、やっぱり男は繊細な男なのであった。
 やわくしわぶきながら、男は文机に向かい、筆を動かしている。少女は、甘い蜜と一緒に浸けておいた花梨を煮込んだものを湯呑茶碗に注いで、男に持って行く。浅学である少女は、この地を治める男が何に頭を悩ませているのかを理解することはできなかったが、されど温かな飲み物を作ることはできる。喉のあたりを指差して、男に茶碗を差し出すと、男はそれを見て、少し嫌そうな顔をした。くすりじゃないよ、と教えてやる。もうよい歳になるというのに、男は苦い薬が飲めない。子どものような性癖がある。ゆえに、甘い飲み物を作ってやったというのに、男はといえば、一口舐めて、あまい、とまた顔をしかめる。甘味をこよなく愛する少女には男が何故顔をしかめるのかさっぱりわからない。別に手の込んだものではないけれど、それでも男のために作ってやったものだったのに。少女がほんのり唇を尖らせると、頬杖をついてそれを見ていた男が、ふと長い指先で湯に蕩けた蜜をすくい、こちらの口元に押し当ててきた。ぬるい蜜の感触に、息がつまる。目を伏せてためらいを見せた少女の唇を男の指がなぞる。舐めると甘く、ひんやりして骨ばった指先を感じた。痺れるような甘さが舌に溶ける。あまい、とかろうじて呟くと、男は濡れた指先で唇のふちを撫ぜて、ほらやっぱりあまい、と嘯いた。常より少しかすれた声が少女の、花の名前を呼ぶ。おいで。温かなかいなが少女を招く。溺れるくらいのいとおしさに駆られて、白い指先にそぅっと口付ける。あまいにおいのする指先。花のかおりに混じって、こほ、と咳をする音が耳朶に触れる。盛春。

さくら、はじめてひらく