運悪く、夏の夕立に襲われてしまった。朝出てゆくときは、空は隅々まで晴れ渡っていたというのに、昼を過ぎて雲行きが怪しくなり、夕暮れを待たずしてざぁっと雨が降った。あいにくと牛車や駕籠のたぐいは使っておらず、少女と男は仲良く濡れ鼠となった。小路に立ち並ぶ店の軒下に逃げ込むと、少女は唇をへの字に曲げて、濡れた衣を絞る。とりどりの夏蝶が可憐な、下ろしたばかりの衣であったのに、生地を傷めてしまうかもしれない。白銀の髪を飾る縮緬の髪飾りも同様だった。水滴の滴る前髪をいじりながら、何故雨が降るのだと、子どもらしい駄々をこねる。店の格子窓に背を預けた男は、苦笑気味に肩をすくめて、夏ですから、ひめぎみ、という。ひめぎみ。ひめぎみ。男はよそよそしい敬称を好んで使う。別に少女を敬い崇めているわけではないのだと、少女は知っている。そう呼ばれることを少女が厭うているのをわかっていて使う、性格の悪い男の嫌がらせだ。だから、少女はあえて訂正をしない。ひめぎみではなく、わたしの名前を呼んで、などと甘い懇願は口にしない。代わりに男を、おまえ、と呼ぶ。おまえ。おまえ。少女のささやかな仕返しに、男は、はいはい、なぁに、と微笑ってこたえる。
 少女と男は、常にひそやかな攻防を繰り広げている。男といると、屈してはならぬ、流されてはならぬ、と気ばかりが立って、ちっとも心が休まらぬ。さりとて、雨にしこたま当たった今日はなんだか疲れてしまって、なぁに、と機嫌よく聞いてくる男の顔を見るのも嫌になってしまって、少女はぶっきらぼうに、なんでもない、と言って、そっぽを向いた。ならされた地面を叩く雨は激しさを増すばかりで、降り止む気配を一向に見せない。こんなみすぼらしい格好で、いつまでいればよいのだろう。少女が長い睫毛を伏せると、不意に手の甲が頬にあてがわれた。ああ、とても冷えていらっしゃる。頬のぬくもりを確かめるようにあてがわれた手は、少女のしっとりと濡れそぼった髪に触れ、少し湿った袖で髪を拭くようにする。くしゃくしゃと普段の男には似つかぬ慈しむような手つきで髪を拭き、こめかみや、頬をぬぐう。男の両袖に包まれるようにされて、少女は戸惑い、逃げ場をなくした小兎みたいな心地になる。こうしてほしかったんでしょう? 男は薄く、いやらしく、わらう。こうしてほしかったんでしょう。ちょう。男は、少女がうなずくのを待っている。罠を張った蜘蛛のようないやらしさで待っている。それを心得ている少女は、せめてもの抵抗とばかりに目をそらす。ああ、なまえを、よびたい。くるおしい衝動に駆られながら、喉まで出かかった男のなまえをのみこんだ。白い喉があえかに震える。男は眸を伏せて、そこに、つ、と口付けた。濡れた濃茶の髪が喉元に触れ、微かな吐息が首筋をくすぐる。すなおになられればよろしいのに。男がわらう。おまえなんぞきらいじゃ、苦し紛れにいつものやり取りを繰り返す。雨が五月蝿い。晩夏。 

 

たいう、ときどきふる