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 公開処刑というのは、この国において古くから群衆の娯楽のひとつであった。
 断首台にかけられ、刎ねられる首が空高く飛んでいくのを眺めながら、貴族たちは歓談にふけり、その隣で貴婦人がたが扇子を口元へあて、まぁと歓声を上げる。このときばかりは働き者たちもみな店を閉めて広場に駆けつけ、一世一代の悲劇の観客となるのだった。何せ、本物のオペラを鑑賞するには稼いだお金がいくらあっても足りない。

 かくしてハリネズミ祭当日。
 ノースランドの楽師の処刑は、本日正午過ぎにユグド城から時計塔へいたる道のりにある小広場にて行われる予定となっていた。小広場にはすでに見物人が続々と集まり、まだかまだかと罪人を待ち構えている。
 広場の中央には二本の木製の柱がそびえる装置が置いてあり、執行にあたる役人が先ほどから幾度か試し切りを始めていた。柱の間には鈍い刃が吊るされており、それが落とされることによって柱の間に寝かせた人の首は刎ね飛ぶという仕掛けだ。しゅるりとおもりが引かれ、反動で刃が高速で落ちる。
 割れた南瓜の切れ味を確かめながら、役人は口ひげを撫ぜつけ、ふむ、とうなずいた。




 一方、こちらは楽師たち罪人が捕えられている監獄である。
 市街地の外れに位置する監獄では、役目を仰せつかった看守が老人を牢から出し、荷台へと積んでいるところだった。
 
「ノースランド、ディスラ伯爵の楽師だな?」

 役人であるらしい男が羊皮紙を眺めながら、老人の顔を確認する。羊皮紙にはこの老人の罪状と裁決が書かれており、司法の最高機関である大審院の判が押されていた。青の眸を伏せがちに、羊皮紙を一通り読み上げた男は、

「何か異論は?」

 と決まりきった台詞を口にする。
 老人は口を固く結んだまま首を振った。どうやら恨みつらみすら吐くつもりはないらしい。老人は役人の詰問にも口を割らず、最後までノースランドの“宝”のありかを明かそうとはしなかった。
 それが気に食わなかったらしい。教会の司教御自ら大審院に乗り込み、この老楽師がいかに醜悪か、狡猾なのかを語り、ついにはこの処刑へとこぎつけたのだと聞く。司教からすれば、教会の風評を貶める<ノースランドの惨劇>の生き残りには早く神の御許に去って欲しくて仕方がないのだろう。
 男は痩せた老人の横顔へ一瞥を送ると、短く聖句を唱え、羊皮紙を丸めた。運べ、と護送する兵たちに命じる。




 小広場にハリネズミの被り物をしたふたり組が現れたのは、時計塔の針が十一時を指し、重々しい音を立てて鐘が十一回鳴っている、そのさなかだった。処刑が始まるまでの前座として踊り子たちの舞を楽しんでいた観客は突如現れたふたり組をぎょっとして見つめる。

「ハリネズミ祭万歳!」

 それは少しくぐもった、男の声だった。
 
「ハリネズミ祭万歳!」

 呼応する、こちらは女の声だった。
 祭というのは得てしてこういう“イカレた”輩が現れる。警備の王兵たちは一様に顔をしかめ、舞台から降りるよう怒声を放った。剣の柄に手をかけながら広場の舞台へ向かう。だが、そのときになってハリネズミのひとりが妙な行動をとった。肩に担いでいた袋を大儀そうにおろし、縛っていた紐を解くと、観客たちに向けて中身をぶちまけたのだ。
 きらきらと白銀色の光が陽光に反射して降り注ぐ。
 さながらハリネズミが棘を差したときに神の手からこぼれた星のようだった。
 だが星に見えたものは実際はたくさんの真珠<パール>で、しこうして瞬く間に集まった群衆が目の色を変えるのがわかった。わあっと大人から子どもまでが押し寄せ、真珠に手を伸ばす。あっという間にあたりは喧騒に包まれた。

「<ノースランドの宝>は!」

 女の声が言った。

「今、市外の大通りからこちらに向かっているわ!」

 鈴鳴りの音を立てて真珠が地面に落ちる。
 おおおお!と歓声が上がり、群衆は大通りに向かって駆け出した。




 ルノさま、と窓にゆったり身を預けて外を眺めていた王女に呼びかけ、イジュは馬車に乗り込んだ。扉が閉められ、ほどなくかたかたと微かな振動を立てて馬車が動き始める。時計は十一時ちょうどを指していた。“わがまま姫はいつもの好奇心からハリネズミ祭の処刑が見たいと父王にせがんで席を取ってもらった”。そういうことになっている。
 直前まで、今日髪に飾るはずの真珠の髪飾りがない!揃いの首飾りもなくなっている!と侍女たちが騒いで探し回っていたので、思いのほか時間を食ってしまったが、今から少し急いで馬車を走らせれば、十二時前に広場にたどりつくはずだ。王城と広場は目と鼻の先にある。

「どきどきするわね」

 言葉だけを聞けば、初めての処刑を前に少女らしい好奇心と、少しの不安を覚えているように見えなくもなかったろう。だが、イジュの目の前にいるル少女は至極真面目くさった顔をしており、どころか膝の上に置いた手を微かに震わせていた。緊張を、しているらしい。この方にしては珍しい、と思うと、忠実な従者の胸に微かな悪戯心が芽生えた。

「怖いんですか?」

 組んだ膝に頬杖をついて尋ねてみる。
 ルノがこちらをきっと睨め付けてきたので、イジュは少し笑った。

「図星、という顔をしてらっしゃいます」
「う、うるさいわね」

 ほんの少し頬を赤らめ、ルノはそうかしらとでもいうように窓に映った自分の顔を見つめてみたりする。

「実際、困りものではありますよね。成功するかいまひとつわからない計画ですから。クレンツェ産の淡水真珠の髪飾りと首飾り、あれいくらすると思っております?」
「民から吸い上げた金貨で買った真珠を民へと還元する。悪くはないでしょう」
「ルノさまは面白い考え方をなさりますね」

 呟くと、少女がすっと柳眉を寄せるのがわかった。

「――イジュ。さっきから、やけにつっかかってくるのは何故? お前は私を苛立たせたいのかしら?」
「滅相もない。私はいつだってあなたの僕、あなたのお味方ですよ」
「つまらない台詞ね。貴公子ならもっとうまいことを言う」

 仕返しとばかりにルノが悪態をつく。
 イジュは苦笑した。

「ねぇ、ルノさま。目的地に到着するまでの余興です。目を瞑って」
「『目をお閉じくださいませ、私の淑女マイ・レディ』と言って手の甲に口付けをするんだったら閉じてもいい」
「『目をお閉じくださいませ、私の美しい人マイ・フェア』?」

 微笑って少女の細い手首を取り、そのとおりにすると、むっとした沈黙があり、ルノはしぶしぶ目を閉じた。イジュは背中から伝わる馬車の振動に身を預け、口を開いた。

「まず、真っ暗な空を思い浮かべてください。真っ暗な、月の見えない終末月の寒い空です。びゅうびゅうと風が唸っている。風が街路樹を震わせている。わずかにか残った葉が千切れ飛んでいる。そのうち途切れ途切れにキャロルが聞こえてくるんです。終末祭のキャロル。家々の窓からは温かな橙色の光が漏れ、微かな談笑の声が聞こえます。――そう、もうおわかりですよね。この日は終末祭の最後の日、ひとびとが心待ちにした一年でもっとも尊いお祝いの日です。少し濁った、飴色の窓をのぞけば、飾り立てられたモミの木のそばで大きな七面鳥を取り分けている家族が見える。暖炉が、赤々と燃えている。さむい、雪の日でした。ええ、とても寒い、外はとても寒かった。人気もなければ、身を寄せ合う相手もいない。孤独の染み渡る、そういう夜でした。
 しばらくしてことことと馬車の音が雪道を響き始める。おおきな二頭立ての馬車でした。馬車にはきらびやかな王家の紋章が入っていましたが、暗闇と吹雪とがそれを見えなくさせていました。ただ、大きな馬車でした。馬も見事な青毛でした。額につけた銀色の飾りが美しかった。――そして、馬車が止まります。ステップが下される音がして、次に、また別の音。かつん、かつん、こつこつ。――足音のようでした。たまに硬い音が混じったので、そのぬしがブーツを履いているのだとすぐにわかりました。私は、裸足で、それから懐に小さな一本のナイフを持っていました。そのときの私が持つただひとつきりの、身を守る道具でした。といっても、刃の錆びた、歯こぼれのひどい、七面鳥を取り分けるのすら苦労するであろう、ナイフでしたけれど。不意に誘惑に駆られました。私はその人物が角から飛び出してきたら、ナイフで刺してブーツを奪おうと思いました。裸の足は寒かったんです。ええ、ただそれだけの理由でした。私というのはただそれだけの価値の、人間でした。そしてひときわ足音が大きくなり、――そう、そしてあなたが現れた」

 イジュは目を開けた。

「目があった瞬間に、私の手はナイフの柄から外れていました。すでにナイフという単語も頭にはありませんでした。ただ真っ白い、眩い光に埋め尽くされていました。そしてあなたは、私がなくしたナイフの代わりにこう言った」


『見つけた』
『見つけたわ、私のイジュ


「ねぇ我が君。言葉ひとつでナイフを鞘に変えた方がいまさら何を怖がります? どこに怖がるものなど?」
「――……」
 
 沈黙が返る。
 ルノは――、ルノはイジュに背を向け、唇を噛んでいた。窓に映る少女は、今にもこぼれそうなほど涙の湛えられた眸をきっと窓の外へ向けていた。


 そのとき馬車が大きく揺れて、止まる。
 はずみに危うく前のめりになりかけたところをイジュに腕を差し出されて止められ、ルノは我に返った。見慣れた橋とその下を通る水路が見える。ルノは馬車の窓を開け、外に顔を出す。押しかけた群衆と、荷車、そしてそこに乗った老人の姿を捉えた。


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