四章、空蝉



 六、


 東の最果て・葛ヶ原を治めるのは初代華雨の時代から代々橘一門の役目となっている。その中でも“橘宗家”の家を継ぐ当主は格上。他とは一線を画した、いわば最高権力者である。
 現在の宗家当主は橘颯音、国中に名をとどろかす天才風術師であり、また齢十九にして父を排し、家督を奪い取った上で当主の座についた異色の当主でもある。

 今、座敷の上座にはその颯音が座り、青年の両脇に宗家の補佐にあたる五條家の薫衣と蕪木家の透一が控える。左と右にずらりと集まった長老たちが並び、そのうしろには、暁ら上位の衛兵が顔を並べた。
 集まった長老は総勢五十名にのぼるだろうか。障子戸と襖をきっちり閉められた部屋の中には、気温と人気で異様な熱気がふきだまっていた。雪瀬はふぃーと息をつくと、指定の席について夏羽織を脱ぐ。木綿であるとはいえ、黒い羽織は熱を吸収していけない。雪瀬はぱたぱたと手で顔を扇いだ。

「よー、雪の字。お暑うございますねぇ」

 隣から声をかけられるも、暑いと普段の五割増して動作が鈍くなる雪瀬はちらりと気だるそうな視線を声のぬしに送るだけで返答は返さない。真砂(まさご)は帯に挟んでいた扇子を取り出して、涼しい顔でそれを開く。無論、この青年がこちらを扇いでくれるなんてことがあるわけもなく。真砂は何やら暇そうにふわぁと大あくびして、扇子を動かした。

 みなが揃ったのを確認すると、薫衣が開始の旨を告げる。真砂以外のみながぱちんと扇子を閉じた。
 長老会というのは、財政、法の整備、土木、外交その他多方面にわたる橘一門の政務を補佐し、またそれらを地区ごとに実際に押し進めていく役割を担っている長老たちと、颯音ら橘一門によって構成される機関である。政務における重要なことは、長老会を開いて定めるというのが葛ヶ原の掟だった。以前の橘八代排斥も、実は事前に当主抜きの長老会によって決定がなされていた。
 葛ヶ原は広い。長老たちの力がなければ、民をひとつにまとめることはできない。であるから、土着有力者の長老たちの心をどれだけ掌握できるかが当主の腕の見せ所といえよう。

 さて、本日の長老会で議題に上がっているのは――、
   
「おめぇらの言い分はよぅくわかった。俺を葛ヶ原に迎え入れたいとは成程、面白ぇ」

 立ち並ぶ長老など寸分も意に介した様子もなく、男は腕を組んでふてぶてしく薄笑いを浮かべてみせる。雪瀬が毬街まで迎えに行った人形屋・空蝉だ。一緒に葛ヶ原に入った沙羅は今は別の部屋で長老会が空蝉の処遇を決めるのを待っている。

「まぁ俺もちょうど老帝とはそろそろ縁を切ろうかと思っていたからな。構わねぇよ? きっちりかっきり金さえ払ってくれるなら」
「雇い金なら出します」
「それはいい」

 颯音の申し出に空蝉はぽんと膝を打つ。舌鼓でも打ったような、今にも蕩けそうな表情だった。金だけで動く男、というのはどうやら本当らしい。

「太っ腹な男は好きだぜ。――ただな。一個。条件がある」

 取り囲む長老を見回し、空蝉はひとつ指を突き立てた。淡紫の眸が爛々と輝きを帯びる。

「条件?」
「いやなに、簡単なことだがよ。実は種を明かすと、逃げ出した夜伽を奪還し、しらら視の餓鬼を殺せってぇのが中央から俺に下された命令だったんだな。が、それはまぁ見事失敗しちまった。もとより遂行相成らずの場合はこちらを始末するってのが朝廷が提示してきた条件でよ、つまりは、」
「あなたは今現在朝廷に命を狙われていると」
「その通り!」

 はっはーん、と扇子をおもむろに閉じ、隣の男が口元を手で覆った。

「で、人形師さまさまは無様に尻尾を巻いてこちらへすがりついてきたわけだ? なっさけなー!」

 びしりと扇子の先で男を指差し、真砂はけらけらと笑い出す。ひとのはばかりというものを無視した分家嫡男さまの立ち振る舞いに顔をしかめる長老が数人いたが、いつものことと無言のままに受け流された。空蝉自身も野次のたぐいと流すことにしたらしい。薄く笑って首をすくめる。

「んまぁ、えぇとそこでだ」
「ああ真砂くんはお気になさらず」
「はー!? なんでっ」
「いい加減口を閉ざしてね? 橘分家嫡男」

 宗家当主さまから笑顔で無言の圧力を受け、真砂は憮然と男へ向けていた扇子の先を下ろした。ちぇ、と舌打ちする。真砂とても、颯音には昔から逆らえないのだ。宗家分家の問題ではない。あえていうなら、性質が合わないのだろう。無理やり伏せをさせられた犬のようになった青年を意地悪く見やって、空蝉はふところから出した扇子を開いた。
 
「どうだろうか、橘宗家当主殿。ここらで取引といかねぇか? そちらは俺を中央から守る、俺はそちらに戦人形の情報と戦人形を提供する。――どうだ?悪い条件じゃねぇだろ?」
「確かに」

 空蝉への接触を望んだ際に、颯音は朝廷側の戦力を削ぐとともに、こちらの戦力を増やす意図を持っていたはずだ。つまり空蝉はまんまと颯音の思い通りの条件を提示してきたわけだが、彼は目を伏せて黙考したまますぐには返答を返さない。――このようなところが兄は賢しいのだと雪瀬は思う。一も二もなく提案に乗って、みすみすこちらの手を明かすような愚は犯さない。席の配置にしてもそうだ。颯音は上座、空蝉は下座、客賓ですらない。つまりこちらの圧倒的優位を無言のうちにつきつけている。

「では具体的に聞きましょう。どこの誰があなたを狙ってるんです?」

 颯音は彼を知る者がわかる程度の笑みを口元に滲ませて、すっと顔を上げた。空蝉が目を細める。扇子を閉じて、畳をたん、と叩いた。

「月詠(つくよみ)。いわずと知れた黒衣の占術師だ」

 長老たちが俄かにざわめきだす。月詠といえば、老帝の近臣。そのような大物が何故に一介の人形師を狙ってきているのか。だが、空蝉のほうは済ました顔で傍観に徹している。

「――それは結構な条件だ」

 颯音は笑みに苦いものを滲ませ、小さく嘆息した。

「わかりました。どうにかしましょう。空蝉さんが葛ヶ原に来たことはまだ内部にしか知れていない。なら、あちら側に偽の情報を流しておびき出すことも可能ですし、まぁ手立てはいろいろとある」

 颯音は答えると、つと考え込むように脇息に重心を傾けた。濃茶色の眸に、ひどくさめやかな色が宿る。その色を閉じ込めるように眸が伏せられた。

「そうだなぁ、それじゃあ空蝉さんには葛ヶ原のほうで待機しててもらいましょうか。……あぁいちおう護衛くらいつけておいたほうがいいかな。沙羅さんとうちの衛兵でいいですか?」
「ああ、構わねぇ」

 空蝉はうなずいたものの、ちらりと意味深な視線をこちらへ寄越す。何やら企みでもある様子でにまりと口端を上げた。いぶかしげに眉をひそめた雪瀬の腕をおもむろに差し伸ばされた手がつかむ。何、ときょとんとしているうちにぐいと引かれ、座の真ん中に引っ張り出された。

「だが、もうひとり。こいつもつけてくれ」
「――は? 俺?」
「あーそいつ無理無理。護衛の価値ねぇよ弱いもん」

 座に引きずり出されたままの格好で雪瀬が目を瞬かせると、真砂があくび交じりに野次を飛ばしてくる。空蝉はふんとそれを一笑に伏した。

「どうせ形だけなんだろ? 俺はとっくりしらら視の餓鬼と話したいんだよ」
「……俺は別に話すこともないんですけど」

 雪瀬が呟くと、「いいじゃねぇか、つれねーなぁ」と空蝉は笑い声を上げながらばしばしと背中を叩いてくる。

「それに……、砂だったか」
「『真』砂だ」
「はっは、真砂ね、あんま変わらねぇがな。  なぁお前らちょいとしらら視さまを見くびってんじゃねぇか?」

 不敵な笑みを浮かべ、空蝉は座敷内をぐるりと見回す。

「この席の配置といい、扱いといい。中央人形屋としての矜持、失った覚えはねぇんだがなぁ?」

 ひとりひとりの長老の顔を見ていくようにしていた空蝉は、ある一点にぴたりと視線を止めて、にやりと嗜虐的に笑った。腰を上げ、長老たちの間をかきわけて歩く。長老たちからぼそぼそと不満まじりの声が上がったが、歯牙にもかけない。そうして障子の前に立っていた衛兵、暁の前にたどりつくと、空蝉は青年の左胸にちょいと手をあてがった。
 その耳元に、空蝉は何がしかを囁く。刹那、青年の瞳孔が大きく開かれ、次の瞬間には声もなくがくんとその身体が地面に崩れ落ちた。騒ぎが静まる。畳に倒れた青年の身体をみなが愕然と見つめた。

「なっ、死っ……!?」

 遅れて状況を認識したらしい。長老らがおののいた様子で悲鳴を上げる。相乗効果といった様子でほどなく長老の後ろに控える衛兵たちも怯えの声を上げ、一気に場が混乱に陥った。

「ほーら、言わんこっちゃねぇ。見たな? 見たよな? これがしらら視の能力なんだぜぇ?」

 空蝉は満足げに笑い、床に倒れ伏した暁の上に足を乗せる。長老の制止を聞き入れず、その身体をぐいと踏みつけた。

「なぁ、よーく見てとけお前ら。人形と霊、ひとにあらざる者はすべて、この俺さまの支配を受ける。わかるか? 俺が一言命令すりゃ、人形なんざ簡単に灰に返るんだよ」

 ひっ、とその場に混じっていた戦人形が悲鳴を漏らした。おののいた様子で立ち上がったひとりがぱっときびすを返す。瞬く間に長老たちの間にも緊張が伝播し、人形でもないくせに障子戸やら襖やらに殺到する。そのさまを愉快げに眺め、空蝉はひゅうと口笛を鳴らした。
 雪瀬は――、立ち上がると真砂の懐に差してあった扇子を抜き取って、男の剃髪した頭をぺしりと。叩いた。

「何で踏むの」

 淡然と言葉を向けると、空蝉は意外そうな顔でこちらを振り返る。叩かれた頭をさすりながら、ふんと悪態をついた。

「俺がしらら視で、こいつが人形だからに決まってら」
「ああそう。ちなみに暁は俺の子守役で、橘の衛兵なんだけど、そこどいてくれない?」
「ああ?」
 
 はじめて不快そうに男が表情を歪めた。その隙に、雪瀬は暁の前にかがみこむ。死んでいないことは最初からわかっていた。雪瀬は青年の背中に手を置き、耳元でひとつ、囁きを落とす。青年がうっすらと青い眸を開いた。

「っは。噂に違わぬよい子ちゃんだなぁ、橘雪瀬」

 空蝉は何か面白いことでもあったかのように吹き出し、ぽんと膝を打つ。淡紫の片眸をすぅっとすがめた。

「しっかし、ま、どうせ血で血を洗う橘一族、父親殺しの兄にその弟だからな。裏で誰殺ってるんだかわかったもんじゃねぇ」

 皮肉げに吐かれた言葉に、瞬間、水を打ったように場が静まった。普段はいらぬところで口を挟む真砂までもが沈黙する。緊張をはらんだその微妙な空気を嗅ぎ取って、空蝉はおや?と目を瞬かせた。

「もしや当たり?」

 男の問いかけに返す者はいない。みな、息をひそめて場を見守っている。そのとき、頭上でけたたましい風切音が打ち鳴った。

「――扇」

 白鷺にすばやく視線を走らせ、雪瀬はぴしゃりと制止の声をかける。扇はちょうど空蝉の顔面に爪をかけたところだった。

「余計なことするな。そいつはね、うちの“切り札”なんだ。眸ひとつだって失ってもらっちゃ困る」
「……ふん」

 有無を言わさぬ口調で畳み掛ければ、扇はしぶしぶ空蝉から爪をはずし、こちらの肩に飛び移る。空蝉は鼻の頭の引っかき傷を墨染めの袖でさすっていたが、こちらを見やるとほどなくくつくつと忍び笑いをもらした。

「嗚呼、すばらしきかな、主従愛。涙が出るね」
「それはどうも。なら、あとでお代を頂戴」

 扇がまた騒ぎ出す前に短く応えると、雪瀬はいまだ沈黙したままの一同を見やり、それから空蝉に視線を戻した。

「あー、だから。何だっけ、護衛? やるよ、いたしますよ。それでいいでしょ、颯音兄」
「――いいんじゃない?」

 一応上座の颯音に振り返って確認を取れば、颯音はにっこりと涼やかに微笑んだ。

「この件はこれまで。次に夕べの大雨で橋の一つが流れた件に移りますが、――」






「つく、よみ、」

 襖に背を預けていた少女はずるずると崩れ落ち、その場に座り込んでしまう。小刻みに震えだす身体をぎゅっと抱きしめ、桜はつくよみ、ともう一度呟き、緋色の眸をきつく閉じ入った。