二章、撃ち落されるその鳥の名は、



 十九、


 そんなこんなで今日も一日毬街を歩き回ったが、真砂は尻尾すらもつかむことができなかった。
 雪瀬と暁は途方に暮れて、傾き始めた日を仰ぐ。葛ヶ原には帰らず、柚葉の使っていた長屋に泊まってここ数日捜索を続けていたのだが、いつまでも無期限で、というわけにもいかない。ただでさえ、兄のいない葛ヶ原は仕事が山のように積みあがっているのである。今は透一や薫衣、柚葉に肩代わりしてもらっているが、そろそろ帰らないとまずい。

「燕にでも頼むか……」

 颯音の隠密として働いている男のことを思い出し、雪瀬は呟く。燕には以前、黎の所在を探してもらったことがある。結果はかんばしくなかったが、与えられた仕事に対しては迅速かつ正確な答えを見つけ出してくる男だ。
 身内のことをひとに頼むのはいささか気が引けるが、仕方ないかと物憂げなため息をついていると、

「おやまぁ。兄さまともあろうお方が万策尽き果てたようなお顔をなすって」

 と、路地奥にひっそり灯る行灯から笑い声がかかった。
 色褪せた飴色の台の上に置かれた行灯には汚い字でうらなひや、とある。先日の老婆の霊の件を思い出した雪瀬は反射的に身を引きかけたが、被衣を頭からかぶったその少女には見覚えがあった。

「……柚?」
「柚葉さま?」

 綺麗に声を重ね合わせ、暁と雪瀬は一様に首を傾ける。
 被衣を少しずらしてこちらを見つめ返してきた少女はやはり自分の妹だ。

「何やってるの?」
「兄さまがお困りかと思い、助けに参りました。ふふ、毬街のうらなひやさんの臨時開業です」

 柚葉はにっこり笑うと、被衣を二枚差し出し、雪瀬の胸へと押し付ける。

「さて、兄さま、それから暁もこれをかぶって」
「かぶってって、」
「ほらほら、時間はありませんよ。それでじゃんじゃんお客さまを呼び寄せてくださいませ!」

 雪瀬と暁が眉をひそめて顔を見合わせたのは言うまでもない。




「むむっ、もしやあなたさまは心の臓を患われているのではございませんか?」

 前に座る男の手を取り、柚葉は柳眉をひそめて深刻そうな表情を作る。

「へ、へぇ。確かに一年ほど前、胸がずっきりと痛んで倒れたことがあります」
「まぁおいたわしゅう……。よろしければ、よいお医者さまを紹介いたしますよ」
「それはありがたい」
「毬街の臙井地区の瀬々木さまと申しましてね……」

 柚葉は男の手を両手に包んでそんな風に説明する。時折長い睫毛を伏せ、ふんわりとそれはもう菩薩がごとき優しい笑みを浮かべた。対面の男はというと、すっかり鼻の下を伸ばしてこくこくと首を振るだけと化している。
 いったいこの娘はいつの間にこんな術を身につけたのだろうか。ふたりのやり取りを見守る雪瀬としては少々複雑だ。それは宗家三兄弟の守役であった暁とて同様だったらしい。
 三人目を数える男がいなくなってしまうと、暁はすばやく柚葉の元へ近づき、眉間に皺を寄せながら口を開いた。

「――柚葉さま。差し出がましいことは承知で口を挟みますが、いったいその占いとやらが真砂さまの行方を探るのに何の意味があるのです?」
「あら?」

 角を曲がる男へ手を振っていた柚葉は暁を振り返って可愛らしく小首を傾ける。

「何か気に障る点でも?」
「それはもう……。あのですね、柚葉さま。そうたやすく殿方の手をお取りになるなど、私がいつお教えしましたか。嫁入り前の娘ともあろう者が、な、なんと破廉恥な……!」

 言いたいことはわかるが、暁、指摘する点がおおいにずれている。

「あら嫌だ。暁ったら見かけによらずうぶなんですねぇ」

 案の定、青年の言葉は軽く受け流した模様で、柚葉はころころと鈴を転がしたような微笑い声を立てた。屋台に腕をつき、あたりに雪瀬と暁しかいないのを盗み見てから、策士の笑みを口元に載せる。

「なぁに、殿方はそこに突っ立って見ていてくださいませ。餌はすでにまいておきました。必ず大物を釣り上げて見せます」

 その自信はどこから来るのだろうか。こういう根拠のない自信家ぶりとか、妹は本当に上の兄に似たなぁと雪瀬はしみじみ思う。男であれば肝があるとも言えるが、女子にすると若干気が強すぎるかもしれない。
 雪瀬が少々思い悩んでいると、かこん、と背後から澄んだ下駄の音がした。
 次の客が来たかと思って、慌てて暁と雪瀬は所定の位置――柚葉の後ろに戻ろうとする。しかし、路地に入ってきた人影は思いのほか小さい。子供か、どうやら少女であるようだった。
 淡い行灯の光がとことことこちらへ近寄ってきた少女の面をあらわにする。
 雪瀬と暁と柚葉は全員固まった。
 桜だった。

「う、ら、な、ひ、……?」
 
 行灯に書かれたひらがなを読み取り、桜は緋色の眸をひとつ瞬かせる。それからおもむろに手を伸ばして、ぴらっと柚葉の頭の被衣をめくった。

「……やっぱり柚葉だ」

 呟き、ぴらっぴらっと暁と雪瀬の被衣もめくっていく。すべてめくり終えて顔を確かめると、桜は不思議そうに小首を傾げた。

「何、やってるの?」

 確かにもっともな意見ではある。実際、雪瀬もいまいち自分が何をやっているのかわかっていない。

「ふふ、釣りでございますよ、桜さま」
「釣り? ……魚?」

 川もない、海もない路地裏のどこに魚がいるのだろうと桜はあたりを見回す。だが、やっぱり魚らしい影は見当たらなかったらしい。うーん、と思い悩むような表情になって柚葉を振り返った。

「違います。私たちが釣るのは“ひと”でございますゆえ」

 柚葉はくすくすと笑みを漏らし、桜の腕を引く。
 背後からまた路地に入ってくる影があった。今度は子供じゃない、身体つきからして成年の男だ。桜を雪瀬のほうへ渡しながら、柚葉は入ってくる男を仰ぎ、にやりと妖艶に笑った。

「いらっしゃいませ、毬街のうらなひやへ」

 入ってきた男へ一瞥を送り、雪瀬は息をのむ。
 黒羽織であった。




 なじみの店のあるじからよい占い屋があると聞いたのだが、と黒羽織の男は切り出した。店のあるじ、というのがひとりめだかふたりめだかに来た男であることを思い出し、なるほどと雪瀬は思った。柚葉は事前に常連の客を通じてそれとなく、黒羽織を呼び寄せるような餌をまいていたのである。
 いろんなひとに声をかけてくださいと頼んだのかもしれないし、なじみの中央兵を見つけたら寄越してくださいと直接言ったのかもしれない。どちらにせよ、占い屋をはじめて数刻足らずの快挙であった。

 桜は黒羽織に容姿を見られるとまずいので、今は雪瀬が羽織にくるむようにして抱えている。何せ、雪瀬たちのような濃茶という凡庸な色ならともかく、緋色の眸というのはひどく目を引く。中央兵ともなれば、それが今帝が探している最中の夜伽であると気付いてもおかしくない。
 ゆえ、少女の顔を胸に押し当てるようにしていると、もぞもぞと息苦しそうに桜が身じろぎした。雪瀬は振り返ろうとした桜の頭を押さえつける。静かにしていろ、という意味である。不満そうな声がぽそりと上がったが、それきり桜は静かになった。

「目にくまができておりますね。最近、お疲れでございますか」

 柚葉の口調は柔らかい。
 男は腰に佩いた刀を台に立てかけ、ああと低い声でうなずいた。

「近頃藤月邸の夜番があってな。毎晩ろくに寝ておらぬ」
「まぁ……。睡眠は大事でございますよ」

 柚葉はおもむろに衿元から匂い袋のようなものを取り出した。

「薫衣香でございます。就寝の際はそばに置いておいてくださいませ。あなたさまを安眠へ誘ってくれましょう」
「ほう。確かによい香だ」

 差し出された匂い袋に顔を近づけ、男は感心した風に呟く。
 占い、といいながらも柚葉と客とのやり取りは健康相談のようなものがとても多い。柚葉はかつて瀬々木の元で二年ほど働いたこともあって、若干の医学の知識があった。それらを最大限に用いて、妹は相手の健康状態、精神状態を推し量っているに過ぎない。
 ――だが、あまり医療というものが普及していない時代である。己の体調を言い当てられた客たちはあたかも柚葉が神通力のような、人知を超えた力を使っていると思っても何ら不思議ではない。毬街の占い屋が繁盛したからくりはこういったところにあった。
 男と柚葉は他にも二三、言葉を交し合ったようであった。

「あいわかった。たいそう参考になった」

 男は匂い袋を懐に入れて、代わりに銭を台の上に置く。

「修行中の身ゆえ、お代はいただいてはおりませぬ」

 柚葉は緩く首を振り、銭を男へ突き返す。

「ところで、お客さま。今拝見しましたところ、ひとのめぐりに凶とあります。最近、その藤月邸とやらで妙な人間に会いはしませんでしたか」
「妙な人間、とな?」
「ええ。たとえば、濃茶の髪に濃茶の眸の妙な術を使う術師など――」

 それまでは一貫して静穏であった男の眼光がさっと鋭くなった。
 
「何故、濃茶の眸の術師と?」
「いえ。ただの勘でございますが」
「――知らんな。そのような男は」
「で、ございますか」

 一瞬視線を探るあうように絡み合わせてから柚葉は鮮やかに笑って言葉を切り、失礼いたしました、と頭を下げた。



 黒羽織を捕まえたのでもしや、と思ったが、結果は空ぶりであったらしい。こそりと嘆息をこぼしながら、雪瀬は苦しそうにしていた桜を離す。

「柚、もうさぁ……」
「何をぼさっとしておるのです。追いますよ」

 やめようよ、という雪瀬の言は柚葉の声にかぶさられるようにして遮られる。

「――え?」
「今の男。私が妙な術師、と言いましたのに、そのような“男”は知らんと返しました。おそらく真砂さまを知っております」
「だとしたら、その藤月邸が?」
「可能性はありかと」

 目配せをして、雪瀬と柚葉はぱっと被衣を取った。
 
「待っ、」

 駆け出そうとした雪瀬の袖をついと桜が引く。
 たたらを踏んだ雪瀬に、これ、と桜は少しもたつきながら紙を差し出した。

「雪瀬にって、」
「ごめん、桜。あとで」

 そうしている間にも黒羽織は雑踏の向こうへ消えてしまう。今見失ったらもう手立てはない。雪瀬は桜の頭を軽くあやすように撫ぜ、暁へ彼女を頼むよう命じると、きびすを返した。