二章、撃ち落されるその鳥の名は、



 五、


 さて、ところ変わって毬街の関所のそばに位置する屯所である。
 常日頃からここでは葛ヶ原に出入りする者の検分が行われている。


「却下」

 雪瀬は受け取った紙に一瞥をやると、丸めてぺいっとくずかごに投げ入れる。対する真砂は軽く腰を浮かせ、「何でっ!」と文机にばんと手をついた。

「理由その一、申請者の葛ヶ原出入動機が不明確であるため。その二、原則として宿泊は認められない。その三、橘真砂が橘真礫になっている」
「まさごだろうがまれきだろうがどっちでもいいだろうが。おい雪の字馬鹿、そんな細かいことばっかり言ってると人間ちっちゃくなるぜ」
「たとえ堅固な堤とて蟻の穴から崩れるといいますが」
「へっ、俺なら蟻の穴から崩れるような堤ならさっさと建て替えるね」
「世にそれを屁理屈という」
 
 ずばり指摘し、雪瀬は対面の青年を追い払うような仕草をして机の上の書物に目を落とした。しかしこれくらいで引き下がるような橘真砂ではないのである。

「なぁなぁなぁなぁっ。この前まで通してくれてたじゃんっ。何で今日だけだめなん? ってかお前いつから関所の出入り監査係になったわけ?」
「七日前から。臨時でやってます」
「臨時ってなんだよ」
「臨時は臨時」
「ぜってぇ賄賂だ、金の最中使いやがったんだ!」
 
 真砂は周りにはばからず、むしろこれみよがしといった風に喚きたて、畳にあぐらをかいて座る。足に頬杖をつき、むすっとした顔でこちらを見据えた。どうやら許可をもらうまでてこでも動かないらしい。

「子供か……」

 雪瀬は大仰に嘆息をした。
 
「とにかく。毬街の新作秋の和菓子を買いになんて理由、認められないの」
「ああどうして雪の字にはあのすばらしさがわからないかなぁ? ほんとな、和菓子というのは芸術なんよ! 文化なんよ! ほら、お土産に銀の最中買ってきてやるから」
「賄賂贈ってるのはどっちですか」

 冷静極まりない雪瀬の突っ込みに真砂は気分を害した様子でくそぅと唸る。

「かくなる上は……」
「関所破りとかしないでね」
「まさか。この俺なら正々堂々、正面から突破してやるね」
「ああそう。ガンバッテ」
「――ふ、ふん。そうやって笑ってられるのも今のうちだからな! ずばっとびびっと覚悟しておけ! 後悔させてやるっ」

 真砂はびしりとこちらに向けて指を突きつけ、なんだか負け犬のような捨て台詞を言ってきびすを返した。荒々しく扉が閉められ、そばにひかえていた暁が苦笑する。まるで強い嵐が吹き抜けていったみたいだ。

「別に新作和菓子くらい、買いに行かせてやればよろしいではないですか」
「なに暁、真砂の味方?」
「そういうわけではないんですけども」

 暁は雪瀬のかたわらに膝をつくと、急須を傾けてお茶を注ぐ。この匂い、梅こぶ茶だ。
 いっとう気に入っている種類の茶を出されて、心なし表情を緩ませながら雪瀬は目を通していた書物を置く。真砂が嵐ならば、暁は凪。始終静謐さをまとうた青年の空気はひとの心を落ち着かせる。

「雪瀬さま」
「――ありがと」

 注がれたお茶を受け取りながら、雪瀬は屯所の扉へ目を向ける。

「和菓子とか言ってるけどさ。真砂いつもあんなんで外出てってるの?」
「さぁ、私も普段はここの担当ではないのではかりかねますが。以前、異国からやってきた象を見に飛んでいったことなら覚えておりますね」
「へぇー……」
 
 象ねぇ。あの耳は団扇のように大きく、鼻はとんでもなく長く、歩くたびに地が震えるという怪物か。へぇ、本当にいたんだ。

「……何か気になることでも?」
「あーうん、いや。ただ、ちょっと多すぎるなぁと思って」
「真砂さまの出入りがですか?」
「そう」

 雪瀬は手元に置いた書物を軽く指で叩く。
 少し前から雪瀬は関所の屯所で葛ヶ原に出入りする者の検分を行っていた。真砂には伏せておいたが、薫衣たちが内々に内通者を探す間、葛ヶ原の出入りする者に目を光らせるためである。
 その任にあたって以来、葛ヶ原から毬街への関所の出入記録を調べていたのだが、日にちごとではなく人物ごとに出て行く回数を調べていると、奇妙な事実が浮かび上がった。ふた月前あたりからだろうか、真砂が毬街に行く回数がやけに増えているのだ。もともと放浪癖のようなものがある青年なので今まで別段気にしてはいなかったのだが、近頃などは毬街に一泊して朝帰ってきていることも多く、またその相手を明かさないあたり、怪しくはある。

「毬街によい女子ができたのではありませんか?」
「だと、いいんだけどねぇ……」

 あの真砂に色恋沙汰などありえるだろうか。女子に入れ込むよりはかどかわしているほうがよっぽどお似合いだ。
 嫌な風向きにならないといいんだけどなぁと嘆息をこぼし、雪瀬は梅こぶ茶に口をつけた。






 全身全霊をかけて仕掛けた『交渉』は結局、見事完膚なきまでにひねり潰されてしまった。言葉を操る術に長けているあの少年に自分がまさるなどと考えていたわけではないのだけど、あの難解な表現はずるい、と桜は思う。シンセイシャだのドウキだの言われると、単語の意味を考えるほうに意識がいってしまい、気がついたらあちらの思う壺なのだ。
 どうにもおさまらない胸のうちをまぎらわすように、また雪瀬に対するささやかな反抗の気持ちもあって、桜は少年の言いつけ通りには屋敷に戻らず、ぷらぷらと葛ヶ原を歩き回っていた。

 秋枯れし始めた樹々の並ぶ道には朽ち葉が積もり、霜をたっぷり含んだそれは下駄足で踏むと柔らかく崩れ落ちていく。春というのが成長の季節であったのなら、秋というのは衰弱の季節だ。冬に向けて花も草も、みな消えていく。
 休閑地となっている田畑を抜け、林道を歩き、そうしてたどりついたのは例の関所だった。
 見上げれば、高くそびえたつ門がある。
 内は葛ヶ原、門の外に出れば毬街。関所と呼ばれるその場所は要塞じみた造りを持ち、一寸の隙もなく門番たちによって守られていた。
 無論、桜ひとりで強行突破できるようなシロモノではない。以前、橘八代から逃がしてもらったときだって、雪瀬が手引きしてくれたからどうにかなったみたいなものだ。
 ――でもあとちょっとで、ここをくぐれるはずだったのに。
 本当に、あと少しだったのに。

「……いい、もん」

 今度透一にこっそり頼むんだ。
 そう自分の心を慰めて門から視線を解くと、桜は関所にくるりと背を向けて宗家へ引き返すことにした。結局雪瀬の言うとおりにしている自分が悔しいが、だけどもひとりでずっと歩いていたって楽しくない。ついでに桜の怒りというのはあまり持続しない。寂しさや心細さのほうがすぐにまさってしまうのだ。
 桜は小石を蹴りながらとぼとぼと道を歩く。
 道すがら、屯所の脇を通れば、中から微かな笑い声が聞こえてきた。堅固な関所に比べてそこに殺伐とした空気はない。
 意識の端でその声を捉えつつ、桜は建物のそばにひっそりと作られた庭につと目を止めた。木の柵で囲われている小さな庭。非番のときに気まぐれに作ったんです、といつの折かに暁が言っていた気がする。

 春には花咲き乱れるであろう庭は今は枯れ落ち、倒壊しかけた木の柵の下にぽつりぽつりと雑草を残しているだけだ。秋の寒気にやられたんだろうか、いくつかは壊死している。かろうじて生を繋いでいる、伏目がちな葉の影には、黒い実がたわわに成っていた。
 桜はしゃがみこみ、それにつと指を伸ばす。
 なんとはなしに触れると、とたんに弾けて葉は黒い実をばらまいた。
 いったい何が起こったのかわからず、地面に散らばった実をきょとんと見つめていれば、

「鳳仙花」

 聞きなれない単語が頭上から降った。
 足元の影に重なるようにくっきりと濃い、人影が落ちる。

「ホウセンカっていうんよ。それ。面白いだろー?」

 桜が振り返る頃には相手はすでに隣にかがみこんでいて、説明をしながら筆で空に“鳳仙花”という字を書き記してみせる。

「別名は……はて? 爪紅草(つまべにそう)だったかな。鳳は不死鳥の名、仙は生きる神、つまりはとっても縁起がよい花なのだっ」
「ふぅ、ん……?」
「ふぅんって」

 いまいち反応が悪い桜に、青年は何やら物足りなそうな顔をして言葉を切った。それから、まさか、とでもいうようにいぶかしげな顔になり、ずずいとこちらににじり寄ってくる。

「……あのね、お嬢さん。ちゃんと覚えてマス? アナタの目の前にいるこの見目麗しい男はな。聞いて驚け! 何と橘一門分家嫡男にして当主の、」
「たちばなまさご」

 先回りして桜が言い当てると、真砂は勢いをそがれた様子で目をぱちくりさせた。

「おーやまぁ。その鶏ほどの脳みそにたがわぬ記憶のよさじゃーん! へっへ、中詰まってきた? 詰まってきた?」

 真砂は果物の実のつまり具合を調べるかのように桜の頭を筆先でぺしぺし叩く。頭を振っていやいやし、桜は後ろに退いた。
 葛ヶ原のひとたち、――雪瀬を筆頭に扇、薫衣、透一、暁、それから柚葉、いろんなひとたちに会ってきたけれど、その中でもこのひとは一番苦手だ。なんだかいつも突拍子もない現れ方をするし、意地悪いことを言うし、強引だし。それに雪瀬のこと嫌いって言うから、やだ。

 桜は真砂から顔をそらすと、立ち上がって早々にその場から逃げ出してしまおうとする。

「あ、待てって。なーなー」

 だが真砂は親鳥に付き従う雛鳥よろしく、桜のあとを追ってきた。

「待―てってば。な、お前、毬街に行きかったんじゃねぇの?」
「……、」
「ねぇ、違うん?」
「……ちがう」
「とか言いつつほんとは行きたいんだろー? 俺見たもん。さっき桜サンが物欲しそうに関所見上げてたの。あれだろ、どうせあの馬鹿が“だめ、出してやんない”とか言ったんだろ?」
「――……う、」

 冗談めかしていながらもまるでこちらの胸のうちを見透かしたような言葉を突きつけられ、桜は思わず息をのんだ。

「アタリ?」

 真砂はこちらの顔をのぞきこみ、にやりと笑う。
 
「――アタリだ」
「ちがう。私……」

 屋敷に戻るんだから、と言いかけ、桜は言葉に詰まった。危ないから屋敷に戻れ、と言ったのは桜じゃない。雪瀬だ。私、いつも雪瀬の言うことを鵜呑みにしているばかりだ。

「まぁまぁ桜サン。俺はね、何も意地悪言ってるわけじゃない。あなたが望むならここから出して毬街に連れて行ってあげようかなぁと思ってるんだけども、どう? 乗る?」
「……ほんとっ?」

 思いがけぬ救いの手に桜は勢い込んで真砂を仰ぐ。

「ええ本当ですとも。俺さまってば親切ですからー」
「うん。しんせつ」

 意外だ。こんなにいいひとだとは思わなかった。
 
「そーゆーわけでっ」

 うっかり気を緩めていた桜の両脇に手を差し入れ、真砂はひょいと荷物でも持ち上げるみたいに桜を身体を抱え上げる。

「ひゃ」

 ぐん、と視界が高くなり、桜はばたばた足を動かした。

「やだ。下ろして」
「心配しない心配しない、俺の言うとおりにしてりゃあ関所なんて軽く抜けられるってなもんだ。ついてるぜ、雛鳥。やったなー?」
「おろ……」
「あ、それといいか雛鳥。関所が近づいたら、お前腹抱えてうずくまれ。了解?」

 強引に話を進められ、桜は憮然となる。だけども真砂の言うとおりにしていればとりあえず葛ヶ原は出れるはずなのだ。銃弾、どうにかできるはずなのだ。
 だから、今はがまん。
 胸の中で自分に言い聞かせ、桜は青年の肩に頬をつけると目を閉じた。