三章、泡沫
六、
その日、葛ヶ原の西の大門は、久しぶりの賑わいをみせていた。ここしばらく途絶えていた行商の一団が到着したのだ。頭に深く編み笠をかぶり、天秤棒を肩に担いだ風体の一団は閑静な葛ヶ原ではひときわ目を引く。すぐに噂を聞きつけ、子供やら年頃の娘やらが集まってきた。
正午の鐘と同時ににわか市が開かれる。門の前に敷かれたござには、米・芋・野菜などの食料から、茶・煙草・異国の菓子など、庶民にはちょっと手の届かないような贅沢品、花の露、反物やら玉簪、鼈甲簪など年頃の娘が好みそうなものまで、多種多様な品々が並べられていく。行商人たちはみな一様に取り澄ました顔で客引きを行った。
「うっわ、」
屯所の窓からその様子をうかがっていた薫衣はくらりと眩暈でも起こしたように額に手をやる。隣にいた透一も同様に顔を引きつらせている。
「うーん、あれはちょっと無理があるよねぇ……?」
「ちょっとじゃない。大有りだっ」
薫衣は叫び、今一度、門へと視線を向けた。確かに、確かに傍目には行商の一団……にも見えなくもないが、しかし中にはちらほらと太刀を腰に佩いた男、弓を肩にかけた者、果ては頬に刀傷がある者までが混ざっている。その面貌はどれも商人というよりは、武人のそれに近い。行商というには、明らかに毛色が違う。呼び声もどこか野太く、商人の滑らかな言葉回しからは到底かけ離れていた。
「というか、あの腕っ節! ありえないだろ! どこにあんなそこかしこに古傷のあるたくましい腕を持ってる商人がいる!? 何が“毬街の梅こぶ茶”だ、馬鹿だお前らー!」
「で、ででで、でもね、薫ちゃん」
ああああ、と頭を抱えた薫衣の袖を透一が引く。
「ほら、あれっ」
促され、改めて集まった群衆を見やれば、彼らの多くは相も変わらず、わやわやと歓声を上げて騒いでいた。歓声――少なくとも行商がおかしいと露見した悲鳴ではないようであった。
「な、何で……?」
「うーん……なんでかなぁ。ああ!」
怪訝そうな顔をした薫衣の隣で透一がぽむっと手を打つ。
「みんな持ってきた品に夢中なんだ! さすが」
さすが何なのかはしれないが、確かにひとびとの目はござに並べられた舶来品に釘付けになっているようだった。舶来品の物珍しさが勝り、一団の奇妙さに気づいていないらしい。
「これぞ怪我の功名?」
「お前ね。ことわざで綺麗にまとめようとするな」
えへへ、と笑った透一の頭をぽかりと叩きつつ、薫衣は人知れず安堵の息をつく。
これで何とか“毬街の梅こぶ茶”――どういうわけかいつの間にかこの呼び名が定着してしまっていたのだが――の一団を呼び入れることが叶った。
「ふっふー、お二方。連れて来ましたよーん」
と、窓枠からひょっこり馴染みの男が顔を出す。
「燕さん!」
「伯父上!」
透一と薫衣は同時に声を上げる。
質素な渋柿染めの衣に身を包んだこの男――東野燕(とうの つばめ)こそ、今回の作戦の中心になっていて働いていた男であった。燕は六年前とある因果から半ば強制的に颯音の手足として働かされることになり、未だに隠密のようなことをやっている。ちなみに伯父上、と薫衣が言ったのは燕が薫衣の母の兄、という間柄であるためだ。
「どうです? 俺らの変装。完璧でしょ?」
燕は自慢げに胸を張って、るんるんとあたりを見回した。
近頃閉められていることの多かった大門は今は開かれ、ござに並べられた品々を見て回っている娘たちをよそに、次々と葛ヶ原の中へ荷車が運び込まれていっている。積荷の中身は武具、米、塩、その他もろもろ食糧のたぐい。すなわち行商のこの一団こそ、薫衣や透一が新たに葛ヶ原で兵として雇うべく毬街から引き入れた男たちなのだった。
橘一族が帝に反旗を翻して以来、都近郊だけでなく、毬街の大通りまで黒羽織は闊歩するようになった。それら都側の兵の目をそらすため、表面上は行商という形をとる。そうして葛ヶ原へすべてを引き入れてしまえばあとはこちらのものだ。
「よかった。これで冬が越せるねー薫ちゃん!」
「……あぁ」
「今日は白飯食べてもいいかなぁっ」
「そうだな、おしんこもつけとけ」
そんな会話をふたりでしみじみ交わしていると、
「く、苦労したんだねぇ薫ちゃんっ」
燕がほろほろと涙を滲ませ、憐れみをいっぱいに湛えた目を向けてきた。
若干複雑な心境になり、薫衣は目をそらす。
いや、労ってもらえるのはいいのだが、この男は幼少の頃からの知り合いであるので何やら素直に礼だのなんだのを言いにくいのだ。
だがやはり武具や食糧が調達できたのは嬉しい。もっぱら自由都市の名で売っている毬街であったが、商人たちは基本的に謀反をかかげた“咎人”の一族とは関わりを持ちたがらないのだ。土地自体が富んでいたこともあり、自給自足で何とかここまでやってきたが、まもなく差し掛かる冬に向け、食糧はできるだけ確保しておきたかった。
よかった、と薫衣は胸を撫で下ろす。
「そういえば、――ねぇねぇ薫ちゃん。さっきから見当たらないけど、橘の若君は?」
念のため積荷を検める薫衣と透一をのんきに横目で見ながら、燕はもう自分の仕事は終わったとばかりに熱い茶をすすって口を開いた。
「颯音さんなら、百川さんのところへ訪問中ですよー」
「おお、派兵を呼びかけるん? いよいよだねー。あちらさんも徴兵を始めていると聞くし、ついに正面対決かー!」
「ですね!」
「よし、打倒・朝廷! えいえいおー!」
「えいえいおー!」
燕にならって、透一がこぶしを振り上げる。
「ほら薫ちゃんも」
「……え、いや私は」
「くーのーちゃーん?」
そんな馬鹿らしいことはしないと言いたかったのだが、透一にじぃっと見つめられ、薫衣はしぶしぶこぶしを差し出す。この少年の“おねだりの目”が薫衣は昔から弱いのだ。
「じゃあさんはいっ、えいえいおー!」
声を上げる三人を何事だとばかりに行商や娘たちが振り返る。さすがに恥ずかしくなり、薫衣はぺしんと透一の頭をはたいて腰を上げた。
「じゃあゆき、あとの検分よろしくっ」
「ってはいいい!? やだよ、薫ちゃんやだやだ。鬼っ」
「ふっふっふ、鬼はひとの皮をかぶってると言いますからー?」
「鬼だー!? っ燕さん、手伝って。手伝ってくださいー!」
一緒に逃げ出そうとした燕の袖を涙目で透一が引っ張る。
そんな少年に一笑を送って薫衣は屯所を出、杭にくくりつけていた馬の手綱をとった。ひらりと鞍に乗ると、あとは疾風のごとくあたりを駆け抜ける。風が身体を包み、瞬く間に景色が後方へと過ぎ去っていった。
――早く。もっと早くだ。
薫衣の想いが通じたのか、馬はぐんぐんと速度を上げていく。
早く、早く、と薫衣は急きたてられたかのように馬を走らせる。
その脳裏には文机の隅に飾られた、桜の枝があった。もらったときは満開の花を咲かせていた枝は今は花をひとつふたつ残すだけで、代わりに机には数枚、落ちた花弁が折り重なっている。
あれから十日。颯音からの便りはまだ届かない。伝令を持った早馬もまたなく。ただ、刀斎に会って話をするだけであろうに、日にちばかりが過ぎていく。
まだなのか。まだ、帰ってこないのか。
花弁が一枚、また一枚と散っていくにつれ、はやる気持ちだけが薫衣の中につのっていった。
無論、早く帰ってきて欲しいなどと、人前では意地でも言えない。そんな女々しいこと、薫衣はどうあっても口にしたくなかった。にもかかわらず、胸のうちではどんどんと心細さだけが膨らんでいく。せめぎ合う気持ちに板ばさみにされ、薫衣は苦しんだ。
――こんなときにあのひとは何しているんだ。
五條邸の自室に戻ってくると、文机にはまた一枚花びらが落ちている。それを拾い上げ、薫衣は花弁を包んだこぶしを額に当てた。にわかなる焦燥がその胸中を巣食い始めていた。
*
「おー、やってるやってる」
門前に集まる人々を見渡し、雪瀬はほら、と促すように桜の腕を引いた。
「わ……」
とたん目の前に広がった景色を見渡し、桜は目を丸くする。
毬街方面への関所でもある大門が開かれていること、これがまず珍しい。そして開かれた門からは見知らぬひとびとが次々と入ってきていた。彼らはみな一様に長く太い棒――天秤棒というらしい――を担いでいたり、背に不思議な木箱を背負っていたりする。荷をおろす者たちのかたわらですでに到着した者たちはござを敷き、そこに品物を並べて集まった娘たちへ呼び声をかけていた。
その姿は少し毬街の露店の風景と似ている。もう半月ほど前、真砂にさんざん連れ回された露店だ。あのとき半ば無理やり買い与えられた簪は一度落としてしまったあと、玉を繋ぎ合わせて直し、今は桜の後ろ髪に挿されている。
そういえば真砂は。どこへいったのだろうか。最近見かけない。
「雪瀬。まさ……」
真砂は、と口にしようとしたところで頭がずきりと鈍く痛み、桜は眉根を寄せる。ぞっと悪寒が背筋を走った。中途半端なところで口を閉ざし、桜は身体を強張らせる。
「さくら?」
雪瀬に顔を覗き込まれ、桜はびくりと小さく肩を震わせた。
「マサ? 何?」
「……うん。えと、あれ、なに?」
頭によぎった何がしかを振り払うように小さく首を振ると、桜は雪瀬の袖端を引いて別のところを指し示した。先ほどから気にはなっていたのだ。不思議な格好で次々門から入ってくる一団がなんなのかと。
「あぁあれね。行く商いと書いて行商」
「ぎょうしょう?」
「旅をして回る商人のことだよ。毬街にもいなかった?」
「……ん、いたかも」
言われてみれば珍しい品々を売っているひとはいた気がする。
桜は毬街の露店を脳裏に重ねて浮かべた。しかしほどなくそこにささやかな違和感のようなものを覚えてつと小首をかしげる。
「なんか、雰囲気、違う……?」
「え、そう?」
「なんとなく」
「……妙なところ鋭いよなぁ桜は」
何がどう鋭かったのか、雪瀬は肩をすくめて意味深に呟いた。
肩にとまった扇と顔を見合わせ、ひそひそと続ける。
「どうしよ扇。桜まで気づいてるよ、やっぱり無理あったかなぁ?」
「知らん。お前と透一の策だろう。とりあえず黒羽織が追いかけてきてはないようだから問題ないんじゃないか?」
「かな」
軽くうなずき合い、雪瀬は大門へ視線を投げかけた。
「にしてもどいつもこいつもどうしてああ大きいんだろ。強面だし。武人というより、ごろつきというか……俺、仲良くできるかなぁ」
「そういう心配は仲良くしたいと思っている奴が言うものだぞ」
「心外。思ってるよ。蚤の心臓くらいは」
「ほとんどないじゃないか」
呆れた様子で扇が首をすくめる。
頭上で飛び交う会話がさっぱりつかめず、桜は不満をあらわに雪瀬の袖を引いた。それで桜の存在を思い出したらしい。雪瀬は苦笑してごめんごめんとでもいうように桜の頭を撫ぜ、
「何か見る?」
と訊いた。雪瀬がこんな風に桜に構ってくれることは本当に少ない。いつもなら扇に任せて自身はどこかへ行ってしまうところだ。どういう心変わりだろう、と不思議に思いながら、しかし少年がさらにまた心変わりを起こさないうちに桜は急いで見る、と首を振る。
「あのね、わたし、花。見たい」
「……花かぁ。秋の終わりだけど、あるかなぁ」
心もとない返事をして、雪瀬はひとだかりのほうへと足を向ける。桜もぱたぱたとその背を追った。が、それも数歩と続かない。行く手をはばむように大きな壁が眼前にぬっとたちはだかったのだ。突如太陽が雲に隠れたかのように視界が翳り、何?と桜はきょとんと目を瞬かせた。
雪瀬の背からそっと顔を出してうかがってみる。
――違った、壁ではない。
大きな男がそこにいた。
頭巾を目深にかぶっていたので顔はよく見えないが、かなりの上背がある。ただひょろりと長いだけではなく、がっしりとした肩幅といい、腕っ節といい、男が武人であることは桜にだって一目瞭然であった。
「――おい。何だ、お前は」
立ちはだかったままどきもせず、ただじっとこちらを見下ろしてくる男をまず扇が威嚇する。が、男のほうは灰色の眸を細めてこちらを眺めてくるだけで微動だにしない。足から根っこでも生えているみたいだ。
ちっと扇が舌打ちした。
「おい、無愛想。頭が高ぁーいっ。橘一族の前だぞっ」
男の反応がないので、橘の名を持ち出してしまうことにしたらしい。
すると今までぴくりとも動かなかった男が顔を上げた。
「タチバナ……?」
ずいと一歩前へ踏み出す。ただでさえ大きい男は前に立たれると、並々ならない威圧感があった。雪瀬も桜からすれば十分大きかったが、男を前にするとさながら大人と子供くらいの身長差があり体格差がある。
「ほーう……?」
男は雪瀬とその頭に止まっている扇とを上から下まで眺め回した。
「……な。なに?」
無遠慮な視線にさらされ、雪瀬は若干上目遣いに自分よりははるかに縦も横も大きい男を見た。品定めをするように動いていた灰の眸が少年の手に握られた木刀あたりでぴたりと止まる。
刹那、男の手がすばやく動いたかと思えば、引き抜かれた刀が一閃、雪瀬へと薙いだ。
「っわ」
とっさ雪瀬は後ろへと飛び退る。遅れて、少年の残像を刀が斬り払った。ざ、と微かな袴の衣擦れの音とともに少年の足が地へと着いた瞬間にはからぶった短刀が今度はその首をかき切らんと走る。
「雪瀬!」
けたたましい羽音がした。
突き出された木刀が無名の刀を受け止める。ぎし、と軋むような音がした。見れば、扇がちょうど雪瀬をかばうように刃と少年の身体との間に身を滑り込ませている。木刀はさらにそれをかばうようにあるのだった。足を踏み出しかけていた桜はひとまず胸を撫で下ろす。
だが、直後だった。短刀を受けた箇所を境に木刀がひびいり、真っ二つに割れて落ちる。宙をゆっくりと落下した木片は、ことん、と高らかな音を立てて、少年の足元へ割れた片割れが転がった。
一時、空気が静止したのではないかと桜は思った。一同――男を除いた一同がみな声を失する。
「って、おいおいおいおい。大丈夫か、雪瀬っ」
いち早く我に返った扇が金切り声を上げながら立ちすくむ少年を振り仰いだ。その声にぎこちない動作で雪瀬は顔を上げる。
「び、」
「び?」
「びっくりした……」
気の抜けたような声で呟き、雪瀬は鞘に刀を納めている男を仰いだ。
「おいお前っ」
「――扇」
男に食って掛かりかけた白鷺の尾をつかみ、雪瀬はまず転がっていた木片を拾い上げようと腰をかがめる。だが不意に伸びた足がそれ阻むように刀の端を押さえた。雪瀬はぴたりと手を止める。
「……あのさぁ。さっきからいったい何?」
「別に。しかし何ゆえ使わぬ刀を拾う必要があるのかと思ってな」
「使わぬ……?」
「ああ。ついでにひとつ。使う覚悟もない武器なら、持つだけ寿命を縮めるというものだぞ」
告げるや男は木片を足で蹴り去った。
瞬く間に木片は後方へ飛んでいってしまう。唖然とする雪瀬と扇をよそに男はやれやれと首をすくめ、わずらわしそうに頭巾を取り払った。
「ったく下らん。これが橘一族か」
「――え?」
忌々しげに舌打ちするその男の顔を見て桜は目をみはった。
「む、みょう……?」
「おお、なんだ。そこにいたのか桜」
無名は今気付いたといった様子で顎を引き、駆け寄った桜に「来てやったぞ」と一陣の青嵐さながら告げた。
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