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二章、風の花嫁(16)




「三海領主の首はすべて送り、都の広場にて晒せ」

 南海事変に際し、帝が下した命令は苛烈を極めた。
 朱鷺にとっては即位後、初の騒乱である。ほかの領主に対する見せしめの意味合いもあったのだろう。事実、乱の発端となった黒海家は、領主、主だった家臣、妻子すべてが殺害された。
 届いた報せを懐にしまい、雪瀬は屋敷に戻る。
 白海領主を捕えた雪瀬は、その身柄を関所近くの村屋敷に仮置いた。雪瀬自身は都察院での取り調べを要求していたのだが、帝が下した沙汰は、彼らの罪状は火を見るよりあきらかであり、即効首を都へ送れというものだった。関係者の洗い出しは、捕えた武将たちへの審問であらかた済んでしまっていた。粗末な破れかけの襖を引くと、中に力なく座した男が落ち窪んだ目を上げた。

「帝はなんと?」

 雪瀬は嘆息して、男の前にひとふりの懐刀を置く。それが答えだった。男の目からみるみる光が消え去る。

「助命嘆願は!?」

 白海領主は叫んだ。いったいこの痩せた男のどこにかような覇気が残っていたのか、雪瀬の両肩を骨ばった手がわしづかむ。

「嘆願はしてくださったのでしょうな? かつてあなたを私がお救いしたときのように、無論してくださったのでしょうな? 今回の件は、黒海がすべて計画し、実行したこと、私はそそのかされただけだ。あなたの嘆願があれば、必ずや通るはず。嘆願を。どうか、嘆願を!!」
「……万鶴どの」

 白海領主の名前を呼び、雪瀬は肩にすがる手に手を重ねる。

「下知はもう出たのです。覆すことはできない」
「この、恩知らずがっ!!!」

 怨嗟をこめた声がなじった。床に置かれた懐刀をひっつかみ、雪瀬に向けて振りかぶる。雪瀬はよけた。切っ先が肩上をかすめたが、白海領主はよろめいただけで、一心に戸口へ走っていく。雪瀬は息を吐き出した。――こうなることを、半ば予期していたためだ。もとより、兵を捨てて逃げた男であった。領地を捨てて逃げた男であった。その首を雪瀬は都へ送らなければならない。腰に佩いた刀を抜き放ち、薙ぐ。一瞬の出来事だった。走っていた男の首が離れ、遅れて胴体がどう、と倒れた。血が噴き上がる。

「雪瀬様!」

 異変に気付いた千鳥が部屋に駆け込んでくる。転がる首と胴体とを見て、おおかたを悟ったらしい。口をつぐんだ千鳥の前で、骸の腹に懐刀を突き立てると、「終わった」と雪瀬は言って、刀の血脂を払った。

「ひとを呼んで。白海領主の首だ。決して奪われることがないように、厳重に警備をつけて都へ送るように」
「……仰せのままに」
「この屋敷は建て直してやらないと。もう使えないだろうからさ」
 
 部屋の惨状を苦く見つめて、雪瀬は刀を鞘におさめた。
 千鳥はそれでも雪瀬を見上げていたが、追ってはこなかった。いくつかの指示を出し終えると、血を洗い流し、とどまっている屋敷に戻る。襖を閉じてひとりになったとたん、ずるずると力が抜けて座り込んでしまった。おわった、と自分に向けて呟く。泥濘のように一気に疲労が押し寄せてきて、一歩たりとも動けなくなってしまった。どうしてそんなに疲れてしまったのか、雪瀬はわかるような、わかりたくないような気がした。不意にはっきりと、桜に会いたいと思う。あのあたたかいものに触れて、心ゆくまで抱きしめたいと思う。それで、ああ俺、と気付いてもしまう。
 戻れない。
 どんどんと、戻れない場所へ進んでしまう。
 大事なものを守るためには力が必要だ。力を持てば、それをふるわねばならない、別の何かを守るために。けれど、いつまで? どこまで? にわかに沸いた問いは、すり減った心身をさらに疲弊させた。雪瀬は柱に頭をもたせて目を瞑る。気付けば、そのまま眠り込んでしまっていたので、あとのことは覚えていない。白海領主の首を送ったのち数日間、雪瀬は高熱を出して動けなくなった。そのさまがあまりにひどかったので、あれは白海領主の呪いではないかと、まことしやかに語られた。

 三海領主の首は都へ運ばれ、広場において十日に渡り、晒された。
 南海事変のこれが顛末である。





 都の橘屋敷に、都察院から兵が放たれたのは、広場に首が晒された三日後のことだった。
 ひとびとが噂する三海領主の首を桜はとても見に行く気にはなれなかった。なので、ひとまず南海から戻る雪瀬たちを迎えるために、屋敷の掃除をしていると、都察院の官服を着た役人が兵を連れてやってきたのだった。雪瀬も薫衣も都から離れていたため、屋敷にはおざなりの兵しかいない。

「当家に何の御用ですか」
「百川漱どのはいらっしゃいますか」

 朝廷の役人にはろくな思いをしたことがない。箒を握り締め、警戒をこめた目で見上げると、役人たちは桜を押しのけ、ぞろぞろと勝手に中へ入ってくる。漱はちょうど外へ出かけるところだった。夏羽織に袖を通しながら、押し掛けてきた役人を見回し、「わたしに何か?」と怪訝そうに尋ねる。

「いたぞ、捕えよ!」

 漱を見つけた役人の動きは速かった。見る間に屈強な武官が両脇を固め、漱を羽交い絞めにする。抵抗らしい抵抗もできず、漱はあっけなく地に伏せさせられた。

「なにをするの!?」

 驚いたのは桜のほうである。庇うように漱のもとへ駆け寄って、官人を睨み付ける。間が悪く、こういうときにいちばん頼りになる無名は外出中だった。騒乱がおさまったあとで、誰も彼もが油断をしていた。

「女、庇い立ては同罪とみなすぞ」

 声を荒げ、役人は懐から取り出した紙を示す。都察院長官、嵯峨卿の印が押された書状には、百川漱を見つけ次第捕えよという旨が記されていた。

「百川漱。クレツ商人との不正取引の疑いで、都察院長官から捕縛令が出ている」
「クレツ商人? まったく覚えがないんですけど」
「ならば、都察院にて左様に申し開きをせよ」
「待って!」

 このままでは漱が連れて行かれてしまう。武官の腕をつかもうとすると、反対に刀の柄頭で撃たれ、地面に腰を打ち付けた。小さく呻く。身を起こす前に、固い柄頭が桜の肩に置かれた。

「言ったはずだ。庇い立てをするなら、おまえもともに連れて行く」
「そ――」
「そういうわけには参りません」

 桜がこたえるより早く漱が首を振った。

「それに、いちおう言わせてもらいますけど、この方は葛ヶ原領主の奥方さまですよ。粗雑な扱いはやめてもらえませんか」

 あくまでもにこやかに話し、漱は桜を振り返った。

「桜さんは無名さんが帰ってきたら、雪瀬さまに連絡を取って、このことを伝えてください。たぶん、どうにかしてくれると思いますから」

 口早に説明しているうちに、武官のひとりが漱を無理やり引き立たせる。お願いしますね、と囁いて、漱は桜から離れた。役人たちが漱を連れて行くのを苦心して見届け、よろめきながら立ち上がる。表に出ると、道向こうから無名が帰ってくるのが見えた。桜の様子に驚き、「どうした?」と駆け寄って肩を大きな手のひらで支える。

「漱が連れて行かれた」

 目を瞠らせた無名の手をやんわり外し、桜は言った。

「馬を用意して。雪瀬のところへ行く」





 薫衣は傷ついた足を持ち上げ、湿布を貼った。薬草が膚に沁みる。思わず顔をしかめると、心配そうに見ていた世話役の少年が「大丈夫ですか!?」と勢いこんで身を乗り出した。その顔があまりにも真剣なので、薫衣はつい吹き出してしまう。

「平気だよ。足もただの捻挫。大怪我したわけじゃないんだから」
「ですけども……!」
「とりあえず、そこの杖を取って」

 薫衣が命じると、少年は立てかけてあった杖をいそいそと持ってきた。肩を貸そうとする少年に、平気だと手を振り、杖を使って立ち上がる。
 薫衣たち葛ヶ原兵は、あせびの差し向けた水軍により龍呼の湊城から助け出された。西大陸船の砲撃を受けたとき、湊城内の者はすぐに岸に近い区画から離れたため、直撃を受けた者は少なくて済んだ。だが、その途上、砲撃の振動で転び、負ぶっていた少年兵をへんに庇ったせいで、薫衣は右足を挫いたのだった。我ながら、まったく締まらない負傷をしたと思う。
 一度は総崩れとなった黒海兵は、砲撃の翌日には統率を取り戻して湊城を包囲した。しかし、その頃には薫衣たちのほうも、城を隅々まで把握し、抜け道のたぐいは塞いである。
 そこから、両軍の睨み合いは九日間に渡った。
 正直なところ、あと少しあせびの水軍の到着が遅れていたら、籠城を続けられたか危うい。駆けつけた水軍は湊に上陸すると、黒海軍を蹴散らし、ほどなく湊の制圧を完了した。薫衣たちの身柄はいったんあせびに預けられ、今は南海で心身の療養に時をあてている。

「どこへ行かれるんですか?」
「湊へ。そろそろあせびどのの使いが来るって聞いたから、見てくる」
「それなら、わたしが」
「いいって。動かないと足がなまる」

 少年兵は心配そうな顔をしたが、薫衣は軽い調子で手を振ると、さくさくとひとの間を縫って外へ出て行く。南海のおもったるい潮風がこのひと月で半端に伸びた髪を撫ぜた。葛ヶ原では涼しい風が混じる時分だが、南海の暑さは一向に和らぐ気配を見せない。
 埠頭のあたりを歩くと、もういくらか船が着いているのが見えた。だが、それらしき人影は見当たらない。いつ頃到着するかも定かではないので、薫衣もそう念入りには探さず、低木の下にできた日影に腰を落ち着けた。使いを迎えに、というのは嘘ではないが、屋敷の中でじっとしているのが苦手な薫衣の方便でもある。
 今回の騒乱で死んだ武将の首は、防腐処理をほどこしたのち、南海の湊に集められ、船で都に運ばれる。青海と白海のものはすでに届いていたが、そのうち黒海は、あせびの配下の寄せ集め兵が討ち取ったため、直接こちらまで運ぶという話になっていた。苛烈を極めた今上帝の沙汰ではあるが、三海の領主や主だった武将の首だけで済まそうというなら、そう厳しいとも言い難い。現に発端となった黒海はともかくとして、白海や青海の残兵に対しては今のところ、目立った処罰はなかった。
 不意に風が強くなったのを感じて、薫衣はとりとめもなくめぐらせていた思考を止めた。頭上に茂った肉厚の葉がざわざわと激しく鳴っている。まるで嵐が来る前みたいだ。肩にかかったざんばら髪をしばらく風に遊ばせていた薫衣は、足元に細い影が射したことに気付いた。とすん、と大きな樽がかたわらに置かれる。

「五條どのですか」

 呼びかけた声に瞬きをして、薫衣は顔を上げる。風が吹いていた。絶え間なく。あおあおとした木々を揺らし、乾いた砂原を荒らし、空を翔ける。薫衣は口を開いた。

「あなたが、アカツキ殿?」

 尋ねると、その男は。
 橘颯音は、静かにわらった。

「久しぶりだね、薫ちゃん」

【二章・了】




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