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四章、炎天(11)




 のちに史書に一文が付されることになる「黒鳥居の密談」は、睦月のはじめ、正月飾りが大路に並ぶさなかに、万葉山の古社において行われた。集まったのは、反朱鷺派の公家衆数名と、蟄居先から抜け出てきたとされる南海の網代あせび。一説には、南海事変の責を取る形で蟄居に処せられたことに不満を募らせていたとされる。反朱鷺の意思を固めた彼らは、毎年啓蟄の頃に朱鷺が行っている各地への行幸で、行列を襲う企てを立てた。朱鷺帝を廃し、月皇子を新帝に立てるために。目論見はしかし、中途で明るみに出た。

 黒鳥居の密談の報せを、雪瀬は都にほど近い霧井湊で聞いた。検察使の役目について以来、雪瀬は数か月ごとに都と葛ヶ原を行き来している。秋冬は葛ヶ原で内政にとりかかっていたので、久方ぶりに都に戻ろうとしていた。

「あせびさまが?」

 最初にそれを聞いたとき、雪瀬は何かの間違いではないかと思った。雪瀬の知るあせびは陰謀とは縁遠そうな快活な男である。加えて、朱鷺帝に対しては、かつて南海で迎え入れていたこともあり、深い信頼と忠誠を寄せている。そのあせびが朱鷺を裏切るようにはとても思えなかった。

「しかし何人かが出入りする彼らを見た、声を聞いたと言っている。都じゃ、その噂で持ちきりだ」

 雪瀬に代わって、都に常駐していた薫衣はうんざりと肩をすくめた。霧井湊から馬を駆けて都へ戻った雪瀬は、すぐに朱鷺帝に呼び寄せられた。命じられたのは、黒鳥居の密談に関する真偽の調査である。
 こうして都に入るや、夕刻の船で南海へ旅立つことが決まった。

「妻の顔を見る暇もないのか」

 薫衣は呆れたが、ことがことなのでそう悠長にも構えていられない。風のざわめき始めた空を見上げて、雪瀬は嘆息する。結局、都に置いている葛ヶ原兵を連れ、さっそく雪瀬は南海へ発ったのである。





 雪瀬を南海へ向かわせた朱鷺は、密談に集まった者として名の挙がった公家衆に関する調書へ目を通した。こちらに関してはどれも以前から朱鷺と対立していた者ばかりである。密談については一様に否定をしているようだが、顔ぶれを見るに、可能性は捨てきれない。

「おまえはどう思う、颯音」

 朱鷺は招き寄せた男に問うた。梅の蕾が膨らむ琵琶師の屋敷である。亡き杜姫の墓参りのために、郊外の屋敷に逗留した朱鷺は、颯音を呼んでいた。

「あせびさまの性格なら、御不満があれば、あなたに先に直談判をされそうですけれど」
「であろう? 密談というのがどうにもあせびらしくない。巻き込まれた、ということだろうか」
「兵を連れて雪瀬が向かったのでしょう。嘘を見抜ける程度の勘はありますよ。遠からず真偽は明らかになるのでは?」
「稲城にも今、大門のひとの出入りを調べさせておる」
「霧井湊の乗船記録も当たっておけばよろしいかと。それよりも、俺には噂の出どころのほうが気にかかる」

 黒鳥居の密談の噂は、都の市井に先に広まった。聞きつけた官吏が蒼褪めて報告を上げたのがもとの発端であったのだ。
 出どころか、と朱鷺は手元の紙から顔を上げる。みぞれ交じりの雨が降る夜である。朱鷺は部屋の中で書き物をしていたが、颯音は高欄に腰掛けて、しとしとと降る雨の音を聞いていた。鋭い眼差しは何かを探るようでもある。

「万葉山の黒鳥居なんて、なかなかひとの寄りつくところじゃない。密談の場としてはふさわしくも思うけれど……、体よくひとが見ていたというのも、少し都合がいい気がする」
「昨年の院の崩御といい、近頃はきな臭いことばかりじゃ。どう思う?」

 朱鷺の腹のうちを正しく察した様子で、颯音は顎を引いた。

「丞相月詠が動いていると?」
「可能性がある。探ってくれるか」
「ちょうどそのつもりでした」

 もとよりその相談で来たらしい。しばらく表から姿を消す旨を告げると、颯音は立ち上がった。ふわりと澄んだ風が乾きかけの墨の上を撫でていく。颯音という男は風術師の一族らしく、その身に風を纏っている。風は奔放であるべきだと思うので、この男に対して、朱鷺は己に従うよう命じたことはない。それでも、老帝を御座から引きずりおろし、朱鷺を帝位につけたあとも、颯音は去らずにここにいた。
 ずいぶん物好きなものだと、今は思う。

「いつも尽くしてくれてありがとうな」
「おかまいなく。誰かに尽くしたことなんて一度もありませんよ」
「……そういう奴だものな、そなた。俺が使ってやると言って、断った奴ははじめてだった」

 肩をすくめると、南海ではじめて会った頃のことを思い出したのか、颯音は苦笑した。

「あれはあなたがおかしい。見ず知らずの人間に命をくれなんて」
「いらんなら、もらってもよいかと思うてな。もったいないもの」
「おかげで、だらだらと生きながらえました」
「俺など、幼子の時分から度重なる暗殺未遂で生きながらえまくりだわ。まあ――それも悪くはなかった」
「ええ、悪くはなかった」

 めずらしく颯音は同調することを口にした。意外そうに瞬きをした朱鷺を残して、高欄からひらりと人影が消える。ゆえ、顔は見えずじまいになってしまったが。雨に打たれるばかりの欄干を見つめると、ゆるくわらって、「それはよかった」と朱鷺はまた筆を取った。

 
 琵琶邸を出た颯音はふと雨にひそむ微かな羽音に気付いて、鯉口を切った。真っ二つになった蠅がぬかるんだ地面に落ちる。すばやくあたりに視線をやったが、ひとの気配はほかになかった。

「……気のせいか」

 刀をおさめて歩き出すと、見張りをしていた透一が気付いて合流した。傘を掲げて、夜の小路を連れだって歩く。

「どんなおはなしになりましたか」
「噂の出どころを探すよ。まずは万葉山の近くだ」
「颯音さんは、密談の存在そのものを疑っているんですね」
「妙に人為的なものは感じる」
 
 雨が幾重にも波紋を描く道には、颯音と透一以外、誰も見当たらない。微かな風が吹いていた。雨曇のあいまからは時折、朧月がのぞくのに、湿った風はどこか不穏な気配を帯びている。闇夜では金にも似た目を眇めて、颯音は天を仰いだ。――嵐が来るな。呟いた声が風にまぎれて消えた。





 このとき、しかし事態は急速に動き始めていたのである。
 翌朝、都の玄関口である霧井湊と、後背にある蕨野において、野盗騒ぎがあった。守護役を担う兵たちがすぐに出動。二手に分かれて野盗の捕縛にあたった。取るに足らない事件である。取るに足らない事件であるはずだった。
 離れた場所での喧騒をよそに、都の船着き場では、暁がその日使った船を陸に寄せていた。すでに日も落ちている。夜半ににわかに風が強くなったため、夕方に繋いでおいた縄を補強しようと長屋を出てきたのだ。案の定、解けかかっていた縄をいくつか見つけて繋ぎ直す。
 川べりを蠢くひとの列を見かけたのはそのときだった。
 橋影で作業をしている暁にあちらは気付いていないようだったが、暁のほうからはだいたいが見通せた。複数のひとの気配。馬はいなかったが、時折、かちゃかちゃと武具の擦れ合う音がする。それだけなら、暁も気に留めなかったかもしれない。不思議に思ったのは、明かりの数の少なさだ。先頭と後方以外、ほとんどの明かりが落とされている。まるで人目を避けるような……。

「ビワ邸に……」

 微かな声は、蠅の立てる不快な羽音のあいまに聞いてとれた。暗闇に燐光を放って旋回する蠅が、ひとりの少女の指先にとまる。人形である暁には察せられた。あれは人あらざるものであると。小さく息をのんだ瞬間、少女の紺青の目が、暁をとらえた。

「ナニを見ている?」

 気付けば、少女はすぐ至近の岸辺から暁を見下ろしていた。獲物はなかったが、それだけで咽喉に刃をあてがわれた気分になる。唾をのみこみ、暁は船にくくりつけた縄を握り締めた。

「私はこの場所の渡し守ですので。船の様子を見に来ただけです」
「……ソウ」

 無関心そうに並んだ船へ一瞥をやってから、少女はきびすを返す。明かりを落としたひとの列も、静かにその場から離れていった。どっと汗が噴き出してきて、暁はその場にくずおれる。
 たすかった。
 ――それで、この話は終わるはずだった。
 あとになっても、暁は何故自分がそんなことを思いついたのか説明できない。ただ虫の知らせが――。そう、虫の知らせといってよかった。あるいはそういう「風」が吹いたのかもしれない。暁はおもむろに立ち上がると、繋ぎ直した船を置いて、きざはしをのぼる。そして明かりを落とした集団が向かったのとは別方向、丞相屋敷へ走り出したのだった。




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