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五章、乱(8)




「首尾はどうだ?」

 商船の手配を終えて毬街へ戻った苑衣を迎えたのは、同じ自治衆をつとめる瀬々木(せぜぎ)と船宿の女将・咲(さき)だった。自治衆の中でも古株のほうである三人は、落雁大橋に並んで立って、ひとの往来を眺める。冷や水売りのかけ声が朗々と響く橋上は、行き交うひとびとでにぎやかだ。

「上々だぁよ。あとはあいつら次第じゃないかね」

 皮肉っぽく肩をすくめて、苑衣は言った。指定のものを載せた商船は十数日前に指定の場所へ向かって旅立った。今頃は目的地の湊についているはずだ。到着した、という報せを受け取ったあと、苑衣は毬街に帰還した。これ以上、苑衣にできることはない。そのように話すと、瀬々木はいかめしい面に微かな笑みを乗せた。

「金銭以外で動かぬがめつい婆が。今回は率先して力を貸したな」
「めずらしい、とでも言いたげだね」
「孫娘への情でも湧いたか?」

 苑衣の孫娘――五條薫衣は、葛ヶ原領主・橘雪瀬のもとで今まさに作戦下に身を置いている。確かにこたびの協力について、薫衣の母の篠衣(しのえ)や妹の此衣(このえ)からの再三の助言があったことは嘘ではない。嘘ではないが、と苑衣は咽喉を鳴らす。

「無血で、なんてさ。馬鹿げていて面白いじゃないか。あたしはいつも面白いほうに金を賭けるのさ。それで七十年生きてきた」
「おまえらしいな」
「あんたはどうなんだ、瀬々木?」
「俺か?」

 急に話を振られて、瀬々木は苦笑した。

「俺は……そりゃあ橘の三兄妹のほうに肩入れするさ」
「あんたはあたしとちがって、情にほだされるからね」
「赤子の頃からみてきたんだぞ、あいつらのことは。いくつになっても、娘とか息子みたいなもんだ」

 眦をやさしく緩めて、瀬々木は診療用の風呂敷を抱え直す。この町医者は毎日欠かさず患者の家を回っているから、今日はそのついでだったのだろう。不穏な都をよそに、毬街では普段どおりの日常が続いている。苑衣と瀬々木と別れた咲は、ひとり橋上から遠い空へと想いを馳せた。

「せいぜい気張んなさいな。……桜」





 霧がかる黎明の中、しゃなりしゃなりと鳴り響く鈴が旅芸座の来訪を告げる。
 今日は即位礼の一日目。触れの者が鈴を結えた杖を掲げて、祝いだ、祝いだ、と言いふらす。慶事に際しては、村々を渡り歩く旅芸座を呼び寄せて祝いの芸事をさせるのが、このあたりのならいである。先触れの鈴を聞きつけた亀澤天領の館主は、小姓の少年に銭を握らせて、旅芸座を館に招くよう命じた。普段は閉ざされている門を開けると、花笠をかぶった一座がかしましく鈴を鳴らしながら通され、館主の前へと跪いた。

「よそ者を館内に入れるのはいかがなものか」

 少し前から城館の采配をとっている月詠配下の嵯峨(さが)卿は、その話を聞きつけるなり、忌々しげに頬を歪めた。よそ者と言われましても、と館主は眉根を寄せる。百年前、皇族から預かった土地へ兵を率いて勝手に入ってきた挙句、すでに半年近くとどまっている嵯峨に対し、館主側は不満を抱えている。おのずと態度は冷めたものになった。

「芸座でございますよ。流浪の民です」
「つまり身元が不明ということだろう。おい、芸座の通行証は持っているのか」
「はい、ここに」

 声をかけた嵯峨に、花笠をしゃらんと鳴らして、ひとりの男が恭しく通行証となっている木鈴を差し出した。木鈴には確かに芸座総社の認め印が押されていたらしい。この認め印は一時期まがいものが出回ったため、容易には真似のできない技術をこらして作られている。まことのものだ、と確かめ、嵯峨は舌打ちをした。

「一刻だけだ。さっさとその祝いとやらをいたせ」
「は」

 すげなく吐き捨てきびすを返した嵯峨を、憐れむように館主が見た。三方を山に囲まれた土地に生きる館主は山河への信仰が篤く、嵯峨卿のようなものは俗人として映るのだろう。こっそり嘆息すると、気を取り直した様子で芸座の集団へと向き直る。

「気にするな。あの者は少々、気難しくてな」

 演目について聞くと、「胡蝶」との答えが返ってきた。蝶の羽を模した緑青の翼をつける舞は、少年や少女が演じるとたいそう華やかだ。舞手は若い娘なのだという。それはますますよい、と館主はうなずいた。

「して、舞人はどの娘だ?」
「のちほどご覧にいれましょう。ご満足なさると思いますよ」

 花笠の下で青年がうっすらと笑う。確かに笑った気がしたのだが、思い違いだろうか。首を傾げた館主に頭を下げて、芸座の者たちが次々中へと荷を運び込む。住む家を持たず、村を渡り歩いている彼らは、生活に必要な道具は皆車に載せて運んでいる。荷の数は多かった。

「今日はどうぞ、よしなに」

 花笠を傾けて、男が嗤う。そのとき笠を押さえる小指の先がなくなっていることに気付いたが、何しろ芸座の者ゆえさして気にも留めず、館主は館内に入る一座を見送った。





「来た」

 櫓にのぼった真砂は開かれた門から中へ入る一団に気付いて目を細めた。きざはしを猿のような身のこなしで駆け下り、館の裏手に回る。向かった先は、城内の厨だった。いつもどおり昼餉の支度をする娘たちを格子から確認して、竿の並ぶ壁に背を預ける。

「ここからはちょいと小細工が必要」

 帯に下げた墨壺に小筆を浸すと、真砂は青く発光を始めたそれをぴちょん、と己の額にあてた。すばやく呪字を走らせる。ごく簡易なもので、まじないに近い。効果は、己の気配を最小限にまで落とすというもの。すう、と息を吸い込むと、真砂は厨に忍び入った。野菜を洗いながら談笑する少女の背中へちらりと一瞥をやってから、並んだ酒樽のひとつの栓をあけ、懐紙に包んだものをぶっこんだ。

「へっくし!」

 だが、栓を閉じたとき、近くの大鍋の湯気にあたったのがまずかった。大仰なくしゃみをしてしまい、はずみにまじないが解ける。談笑していた少女たちは突然の男の出現に悲鳴を上げた。やっべ、とごちて、真砂はすばやくあたりに視線を走らせたのち、転がっていた瓜を手当たり次第つかんで逃げ出した。

「瓜どろぼう! 瓜どろぼうが!!」

 正体不明の「瓜どろぼう」は少女たちのひんしゅくを買ったが、ことがことゆえ、嵯峨の耳にまで報告が上がることはなく。――数刻後、桟敷の前にしつらえられた舞台に、蝶の描かれた紅の袍、手には銅拍子、背に緑青と金で描いた翼をつけた舞人が上がった。
 
 とんてんしゃんしゃん
 さァらりん かァらりん

 鉦タタキが拍を打ち、白地の袴が音もなく舞う。日輪に照らされる舞手は化粧のせいか、性別の曖昧なうつくしさがある。ほうと感嘆の息をつく館主の横では、しかめ面をした嵯峨があぐらをかいた膝を苛立たしげに揺すっていた。早く終われといわんばかりだ。無論、もしものときに備えて、館内に「御移りあそばされている」朱鷺たちは厳重に警備の兵をつけたうえで、この場に呼んでいない。
 胡蝶が、緑青と金の翼を羽ばたかせる。
 たぐいまれなる笛の音は、まほろばの地を乞うているようにも、この地の不浄を嘆いているようにも聞こえる。しゃん、しゃんと空を打つ鈴。床を擦る足は、音もなく。ついと白粉を塗った面を、舞人が天へ向けた。

 とんてんしゃんしゃん
 さァらりん かァらり……

 楽が不意に途切れる。たん、と床板を鳴らす軽やかな音とともに鉦タタキが持ち場を離れるのと、舞人が重たげな衣装を取り去り腰をかがめるのは同時だった。吹きすさぶ風が桟敷に迫る。はっと目を瞠らせた嵯峨が身を引こうとした刹那、鉦タタキは舞人の髪から抜き取った簪を嵯峨の首筋に押し当てていた。鮮やかな一瞬だった。呆気にとられた一同が変事に気付いて、「誰か!」と呼ばう。

「颯音さん!」

 兵のひとりが刀を抜き放つ前に、舞人――透一が衣うちに隠し持っていた短刀の鞘で手首を打つ。さらにひと足飛びで桟敷に踏み込むと、館主の首筋に抜身の短刀を突きつけた。見る間に嵯峨と館主を捕えた鉦タタキと舞姫を睨み、嵯峨が悔しげに唸る。素顔を覆う面をすいと押し上げ、現れた鉦タタキは。

「橘颯音……!」

 十年前に死んだとされた元・橘宗家当主であった。何ゆえという思いとやはり生きていたのかという悔恨が嵯峨の胸をつく。何故おまえが、と呟き、そこで皆まで思い至って、顔を歪めた。

「狙いは朱鷺殿下か……!」
「さすが嵯峨卿、話が早い。命が惜しければ、陛下をここへお連れください」
「ふざけるな」

 嵯峨は唇を噛み、足元の鈴を蹴って転がした。ちりりん、ちりりん、と激しい鈴音が鳴る。異変ありとの触れだ。駆けつけた兵と、芸座の一団が双方武器を取り、睨み合う。芸座の者はざっと十数人。かような人数、すぐに征圧できると思ったが、鈴音で集まった兵は思いのほか少ない。

「何をした」
「ちょっとした小細工です。ご心配なく。死なせてはいない」
「……かような脅しに、私が屈服するとでも?」
「月詠への忠心篤い十人衆のひとり嵯峨卿。確かにあなたなら、己の命のほうを投げ出しそうだ。けれど、どうでしょうね」

 苦笑した颯音が同じく透一によって刀を突きつけられている館主を見やる。その顔は蒼褪めて、恐怖ゆえか、かたかたと歯を鳴らしている。嵯峨は舌打ちして、己の手勢に向けて命じた。

「おい! 館主をさっさと――」
「はよう朱鷺殿下をお連れせよ!!!」

 嵯峨の命令は館主の怯えた声に打ち消された。今まで天領の管理者として、漫然と生きてきた館主にとっては、おそらく長い人生において初めての命の危機であったのだろう。すっかり蒼白になった館主は、「はよう!」と繰り返した。

「このままでは殺されてしまう! はよう!!」

 館主の声に弾かれたように配下の兵たちが身を翻す。「待て!」と嵯峨が怒号を上げるが、無駄だ。兵数の少なさを補うために、館主の兵を借り受けていたのが仇となった。月詠に忠誠を誓う嵯峨に対して、天領を預かる館主はもともとさしたる忠義心も持ち合わせていない。配下の兵にしても同様だ。自らの身に危険が及んだとき、彼らは平然と手のひらを返す。

「……この外道が」

 吐き捨てた嵯峨を、颯音は涼やかに目を細めて見返した。そしてこたえる。お褒めに預かり光栄です、と。




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