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五章、乱(9)




 兵を朱鷺のもとへ向かわせる間に、嵯峨と館主は後ろ手に腕を縛り、その場に残っていた兵たちも同様にした。雪瀬が預けた兵はどれも機敏によく動いた。その中のひとり、無名には颯音も見覚えがある。雪瀬の護衛を長く務めていたように記憶していたが、今回はこちらへ回されたらしい。

「先手で戦意を失わせ、次に気持ちが弱いほうへ誘いをかける。さすが手慣れているな」

 ぽつりと呟いた男に颯音は瞬きをする。独白めいているが、どうやら颯音に向けて発せられた言葉らしい。

「中に協力者がいたからね」

 肩をすくめて、颯音は鉦タタキの重苦しい装束を脱ぎ捨て、袖を紐で縛った。雪瀬から颯音に託されたのは、朱鷺陛下の奪還。その方法如何についてはすべて颯音に任せる、という丸投げぶりだった。とはいえ、颯音もあれこれ制約をつけられるよりは自分で動くほうが楽だったので、これは相手を見た采配であったといえよう。
 朱鷺の御座所が亀澤天領に移されたのをつかみ次第、まずは諜報が得意な燕を動かした。この男、戦闘要員としてはろくに役に立たないが、こと諜報に関しては右に出る者がいない。どこでも最初からその場所にいたかのようにするりと溶け込んでしまえるのだ。颯音にとっての幸運は、城館内にすでに真砂が入りこんでいたことだった。
 結果、真砂を通じて、館内の様子や館主の人柄を事前に知ることができた。嵯峨はとかく警戒心の強く隙がないが、館主が嵯峨卿の滞在に不満を抱いていることや、頻繁に旅芸座を館内に招いていることもわかった。十年に及ぶ放浪生活のおかげで、芸座にはいくらかツテがある。あとは旅芸座に扮した颯音たちが中にうまく入れればよい。

『絶対に舞姫なんて嫌です!』

 ちなみに、この作戦に最後まで強固に反対し続けたのは透一である。

『颯音さんが自分でやればいいでしょうが! あなた舞えるでしょう!?』
『でも、嵯峨卿は俺の顔を知ってるし』
『だからって……!』
『本物の舞姫さんを危険な目にあわせられないじゃない』

 ね、と肩を叩けば、透一はしばらく不本意そうな顔をしていたが、結局、舞装束に袖を通した。厚く化粧をほどこした青年は、纏う装束の華やかさもあって、今やおなごと並べても遜色劣らない美女へと変身を遂げている。ああ……故郷の家族に言えない……と鏡を見て透一が顔を覆ったのは颯音だけが知る話である。

「うまくおやりなすったじゃねえの」

 館主の兵をおおかた捕え終える頃、真砂が朱鷺とそばつきの青年――暁を連れてやってくる。久方ぶりに見た朱鷺は少し痩せて顎が尖っていたが、泰然としたたたずまいは変わっていなかった。

「途中で眠っている兵たちをたくさん見たぞ」
「蜷産の眠り薬を入れたんですよ。成馬でも即効眠るようなやつ」
「容赦ないのう、そなた」

 眠り薬を酒樽に入れた仕掛け人というべき真砂は、肩をすくめるだけで、朱鷺たちから離れた。もともとこの男は颯音たちと馴れ合うことを好まない。

「これで陛下を奪還せしめたつもりか?」

 それまで黙り込んでいた嵯峨がおもむろに口を開いた。視線を向ければ、神経質そうな細目が颯音を睨む。

「確かに館内は征圧したかもしれない。だが、天領の入口には絵島の兵が待機している。即位礼で数を減らしているとはいえ、千の兵だ。おまえたちの主人はそれを上回る兵数を用意できているのか?」

 嵯峨の言は鋭い。検察使として動かせる都兵はあれど、雪瀬の私兵はそう多くはない。その大半は即位礼の守りに回されていたため、すべてをかき集めても、こちらに振り分けられたのはたった五十。正攻法での突破は難しいだろう。

「先ほど、変事を告げる鳥を放った。絵島の兵は今頃こちらへ向かっているだろう。この城館に囚われたのはそなたらのほうだ」

 淡泊に言い渡した嵯峨を颯音は見つめた。
 
 



 同時刻、都の東市付近。
 立ち並ぶ官僚屋敷のひとつ、今は廃屋になっている旧玉津邸の前に立った沙羅は、肩に垂れた細いおさげをうなじのあたりでまとめ上げた。肩に乗ったわら人形が心配そうに首を傾ける。

「いけるか、沙羅」
「もちろんです」

 即位礼は滞りなく開始予定。扇からの報を受け、沙羅はあらかじめ玉津邸の庭に積んでおいた薪に火を落とした。あっという間に炎が薪を包み、煙が上がる。
 すでに火消には一報を入れてある。火量も調節しているため、まもなく駆けつける火消隊によって、周囲に燃え広がる前にすぐに消し止められよう。けれど、このささやかな放火にはそれ以上の大きな意味がある。燃え上がった炎を見つめ、これくらいでしょうか、と沙羅は口端を上げた。

「行きますよ、空蝉さま」
「おうよ!」

 沙羅は旧玉津邸から飛び出すと、道ゆくひとに向かって叫んだ。

「火事です!!!」

 



 その旧玉津屋敷に向かう影がひとつ。大通りの方向へ駆け出したお下げの少女とすれ違うようにして、女は花と線香を抱えたまま、にわかに煙を上げる屋敷を見上げた。

「あらァ、燃えてる……」

 頭巾で腫れた頭を隠した女の声は、言葉のわりにのんきであどけない。かつて玉津卿の細君・鬱金に仕え、今は藍のそばに侍る女――菜子(なこ)である。長く失語を患っていた女は、鬱金が島流しにあったあと、ふいと言葉を取り戻した。無念のままに去った鬱金の生霊が宿ったかのように。
 瞬きを繰り返す菜子の頭巾をくすぶる火の粉が吹きさらう。あらわになった醜姿に、道行く者が悲鳴を上げたが、菜子は意に介さない。

「燃えてる! 燃えてる! 史(ふみ)どののお屋敷が燃えてるよお……!!」

 あはははははは!!!
 常軌を逸した笑い声は、燃え盛る炎を背景に、高らかに響いた。
 駆けつけた火消隊は菜子の姿に眉をひそめながら、消火作業に移る。

「燃えてる! 燃えてる!」
 
 手にした花と線香を散らばらせ、菜子は笑い転げた。
 ――情念。暗い情念がその華奢な背に乗り移ったかのようだった。怨嗟。悔恨。悲哀。道端で打ち捨てられてきた数多の者たち。それは時に、孫の即位を夢見た玉津という男であり、夫の敵を討ち取れなかった鬱金という女であり、あるいは、志半ばで死んでいった白海や黒海の領主であり、あるいは、名を記されることのなかった無数の屍たちであった。数多の屍がふいに産声を上げて、女の痩せた肩により憑いたかのようだった。女は笑い続けた。その眸に赤き炎が宿り、すっと消え入る。

「……燃えてる」

 ひととき真顔に戻った女はすんと鼻を鳴らして、足元に散らばった線香と花を丁寧に拾い上げる。そして大路の中へ戻っていった。




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