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六章、常磐(6)




 流れ弾のひとつが城壁に当たったらしい。一度館を震わせる振動があったあと、再び東棟のほうで轟音が上がった。弾とは少し違う様子だったが、何があったのかはよくわからない。

「風術……?」

 音のした方角を見つめて、真砂がぽつりと呟いた。しかし風術を使うのは、橘の人間に限られる。今この場所に風術師は橘颯音と真砂のふたりしかいないはずだった。首を傾げた桜に、「やっぱりちがうか」と返して、真砂は水路から城館に通じる木戸を蹴破った。兵のほとんどは表門の守りに回っているらしく、城内は閑散としている。周囲にひとがいないことを確認すると、真砂は桜を振り返った。

「雪瀬と月殿下。さあて、どうやって探しますかね」

 ――西棟もしくは東棟。
 出撃前夜、雪瀬の居場所について、颯音はそう予想を立てた。
 あすの段取りに関する打ち合わせを終え、大半の者を返したあとのことだ。篝火を焚いた陣幕には、颯音と透一、真砂、桜だけが残っている。中央に城館の古地図を広げて、颯音は両端の棟を指した。かつて透一と国をめぐっていた際に手に入れたものだという。当時は丞相と朱鷺帝の対立もさほど表面化していなかった頃だろうに、彼らの周到さには舌を巻く。あせびの偵察から得た情報も加わり、颯音はかなり詳細に城館内部を把握しているようだった。そこから考えられる「ひとを捕えるに適した場所」として二か所。それが西棟と東棟だ。

『ただどちらがそうかは俺にもわからない。もしかしたら予想が外れる可能性もある。あとは中で探るしかないね』

 水路から城館への侵入経路を示したあと、颯音はそう結んだ。
 ふたつの可能性を探るため、西側からは千鳥たちが、東側から真砂と桜が入った。滞りなく事が進んでいれば、今頃は千鳥たちも西棟にたどりついたはずだ。

「東棟近くに出たのは間違いないみたいやね」

 濡れそぼった袴を絞りながら、真砂は太陽の角度を目測して言った。このあたりは薪庫にあたるらしく、ときどき積まれた木材が見える以外、人気はまるでない。きのう写しておいた古地図と現在地を照らし合わせ、少し考える。

「……さっき音が鳴った方角」

 ややもして桜は地図の端を指さした。

「あちらだとおもう」
「りょーかい」

 桜の見立てに異論はなかったらしく、真砂は素直に顎を引いた。地図上の一致ももちろんだけれど、ひがしだ、と桜には予感めいた確信があった。雪瀬がいるとすれば、東。風が流れている方角。
 長く使われていなかったという城館は壁が厚く、窓も少ないため暗い。日中にもかかわらず、城内は凍てた薄闇に包まれていた。こつ、こつ。真砂の義足が立てる音に微かな足音が混ざり、桜は眉をひそめた。思わず足を止めようとした桜に目配せを送り、そのまま歩くよう真砂が無言で促す。こつ、こつ。かつ、かつ。かつん。角を曲がった瞬間、真砂は身体を捻って、携えていた杖を突き出した。ぐう、と呻き声が上がり、若い男がくずおれる。

「どうしますうー、桜さん? もう見つかっちまいましたぜ。引きが強いなあ」
「貴様、葛ヶ原の……!」

 青年兵が刀を抜く前に、真砂は仕込み杖で脚の腱をかき切った。血飛沫が跳ね、数人の兵があっという間に地に膝をつく。どれも致命傷には至らないが、すぐに動くこともできなそうだった。

「せっかくだし、少しばかり話を聞かせてもらいましょーか」

 兵のうちひとりの衿をつかみ上げ、真砂は腰をかがめた。

「ひとを探しててさ。うちの領主さま――、橘雪瀬を知らない? 濃茶の髪に濃茶の目、平凡地味で、一度見たらすぐに忘れる顔をした二十五くらいの男ですよ」
「そのようなこと、だれが……、」

 抗う声は息をのむ音とともに途切れた。真砂が仕込み杖の刃を首筋にあてがったためだ。怯えた目をする青年兵に、「脅しじゃないぜ」と口端を上げる。

「時間がねえんだ。おまえが吐かないなら、別のに聞く。ただし、一度捕まえた獲物をただで逃がすほど優しくはないんで、ご愁傷様」

 ぐぐっと刃を押し当てると、切れた首筋から鮮血が伝った。それでもしばらく口を閉ざしていた青年兵だったが、やがて諦めたようにうなだれる。

「あのおとこは、月様が……」
「――さ?」

 まるく澄んだ声に呼ばれ、桜は瞬きをする。息を切らしてその場所に現れたのは、一度は奪われてしまった、かの姫皇女だった。

「でんか……!」

 ほっとした風に表情を緩めた月を抱き締める。小さな身体が腕におさまると、噛み締めるような安堵が胸に広がった。

「よかった。こんなところにいた」
「ん、」

 ひとしきり桜の腕に甘えるようにしてから、月はきゅっと袖をつかんだ。

「あう、うー、うー!」
「殿下?」

 身振り手振りで月は何かを必死に訴える。根気よく耳を傾けて、何とか聞き取れたのは、「か」と「ぎ」の二音。

「かぎ……?」
「ん、ん!」
「どうして、鍵をさがしているの?」
「う、う!」
「あっち?」

 こくんと首を振って、月は桜の腕を引いた。正しくはそこに結ばれた常磐色の切れ端を。声を失した桜に、月は力強くうなずく。何度も。それはまちがっていない。だいじょうぶなのだと、安心させるように。やがてほろほろと頼りなくその名が口をついて出る。

「雪瀬……?」
「桜!」
 
 真砂に肩をつかまれる。ひょろろろろ、と空気が擦れるような独特の音が反響した。血を流して床に臥していた糸鈴兵のひとりが、口に咥えた笛を見せて薄く笑う。真砂に刺し抜かれて男は絶命したが、笛の音は建物全体に響き渡ったあとだった。ほどなくその場に駆けつけた兵は、十数人はいるだろうか。異変を察して刀を構えた兵に舌打ちして、真砂は印を切った。生じた風が前方の糸鈴兵を薙ぎ倒す。背中越しに真砂が声だけを投げた。

「さっさとそこのちびを連れて行け!」
「でも、」
「時間がねえんだろ。あとはあの馬鹿を回収して、早いとこ開門するんだ」

 真砂の背中と取り囲む糸鈴兵とを見比べ、どうするべきか一時ためらう。次に顔を上げたとき、桜に迷いはなかった。短くうなずき、月の手を引いてきびすを返す。直後、刀の鍔鳴りと吹きすさぶ風の音が弾けた。祈るように目を伏せ、月を連れて走り出す。
 
「殿下は怪我をしていませんか?」
「ん、」
「よかった」

 月の話によると、雪瀬は東棟のひとつに閉じ込められていて、外へ出るための鍵が必要らしい。鍵のありかは月にも見当がつかないようだった。けれど、もしものときはさっきの真砂のように、懐刀で錠を叩き壊してしまえばいい。月に東棟までの道を案内してもらいながら、つと何かの気配を感じて、桜は足を止めた。通路の先に人影が射したのに気付いて、前を走る月を引き寄せる。隠れる時間も場所もなかった。帯に挿した懐刀に手を伸ばして身構えていると、角の向こうで相手の足音も止まった。ふ、と小さく笑う吐息が漏れる。そのとき、桜は半ば確信した。
 この先にいる男を。
 相手もまた、桜の存在を察したにちがいない。
 何故。どうして。わたしたちは幾度となくめぐりあってしまうのか。まるでたちの悪い呪縛のように。息を吐いて、月を後ろに押しやると、桜はひたと冷えた眼差しを上げる。

「月詠」

 懐刀の柄を握り、その名を呼んだ。




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