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Episode-2,「泥棒とクリスマス賛歌」


01



  さぁ、花よ歌え、風よ祝え、その王国の名を。
  神の祝福を世界に示したし。この白き世界樹の楽園のもと……


 窓の外では終末祭の聖歌が誰ともなしに口ずさまれている。
 音もなく天から舞い降りる、白く冷たい花々。息で白くなった窓硝子に絵を描いていた子供が肩に温かなショールをかける母親の手に気付いて、首をちょこんと傾ける。新しい年へ向けて、王城から城下の町々、孤児院から葬儀屋に至るまで、皆がなんとはなしに心を弾ませている時分であった。だが、それにしても、ことユグド城の月白宮に関してはおおいなる例外のひとつであるらしい。

 ドンドンドンドンッ!

 オーク材のドアを少女の小さなこぶしがせわしなく叩く。

「イジュ! 開けなさい! イジュ! いるんでしょうイジュったら!」

 少女の声はまだあどけなく、年は、教会から幼児洗礼の儀式がある聖なる五歳セイント・フィフスに届いたか届かないかといったところだろう。はためには、小さな子供が癇癪を起こしたようにしか見えなかったが、少女の口調は子供とは思えないほど高圧的で、ひとに命令しなれている風だった。それも道理で、少女はこの月白宮のあるじにして現王の娘、名をルノ=コークランという。そして、彼女が先ほどからしきりに呼びつけているのが、先日終末祭のミサの帰りに連れてきた孤児の少年。ルノがつけた名前は『イジュ』。この国の古い言葉で『鞘』を意味する。

「イジュ! 出てきなさいったら! お前、この私の言うことが聞けないの!?」

 ルノの再三の呼びかけにもかかわらず、扉は澄ました顔で沈黙を保っている。自分の背より遥かに高いそれをしばらく大きな蒼い眸で見つめてから、「……ふぅん、そう」とルノはおもむろにこぶしを外した。

「そういうこと。お前の気持ちはよぅくわかったわ、イジュ」

 腕を組んで意味深にうなずき、ルノは「カメリオ!」と駆けつけてきた侍従長をきっと振り仰いだ。

「大砲を持ってきてぶっ放しなさい。ええそう、城の地下で蜘蛛の巣をかぶって眠っているアレよ。――イジュ! 聞こえたわね! 出て来る気がないのなら、もうお前なんかいらない! 私は大砲でこの部屋ごと吹き飛ばしてやるんだから!」

 それでも扉は開かない。
 ルノはこっくりうなずき、カメリオと呼ばれたまもなく老年に達しよう侍従長に冷えた蒼色の眸を向けた。『ぶっ放せ』と御年五歳になる王女は暗に告げている。告げてはいるが……、カメリオはごくごく普通の良識と道徳を持つ一般人であったので、まさか王女の言うとおりに大砲を持って来るわけにもいかず、代わりに鍵師を呼んできて、部屋の内鍵を壊させ、扉を開けた。

「あら……?」

 だが、そうして開け放たれた部屋に少年の姿はなかった。テーブル、備え付けのベッド、椅子、と順々に見ていくが、やはり人影ひとつ見当たらない。
 ――否。目に留まったものがあってルノはそこへ歩み寄る。ご丁寧にも一番端の窓が開け放され、ひらひらと上質なレースのカーテンが揺れているではないか。窓枠にかかる、シーツを組み合わせて作った紐を見つけて、ルノは眉をひそめた。紐はまだぎしぎしと揺れている。窓枠に手をつけ、身を乗り出すと、ちょうどシーツを伝って地面に足を着けているヘイズルの髪の少年の姿が目に入った。

「あの子供! る、ルノさま、今すぐ衛兵の手配を――」

 という侍従長の進言は自らの壮絶な悲鳴によってかき消された。
 姫が。ルノ姫が窓枠に足をかけ、ひょいっと飛び降りてしまったのだ。
 シーツを伝ってすらいない。ルノは文字通り二階の窓から『飛んだ』、もしくは『落ちた』。
 
「イーーーージューーッ! ルノさまをお受け止めせよーーーーー!!」

 という侍従長の叫びに反応したからではないが、結果としてイジュはルノ姫をかいなに抱くことになった。何のことはない、上から降ってくる、風を受けてバルーン状に広がったスカートに気付いて、とっさによけるよりも手を差し伸ばしてしまったのだった。
 
「っ!」

 しかし思いのほか勢いがついていたせいで、受け止めきれず、体勢を崩して芝生に背中をしたたか打つ。そのときになってようやくイジュは自分が受け止めたものがなんなのかに気づき、品悪くちっと舌打ちした。身をよじろうとしたが、王女のまるっとした小さな身体は胸にくっついて離れない。子供らしい小さな白い手がイジュの襟元で無造作に束ねられたヘイズルの髪房をおもむろに引っ張った。それをくるくると手首に巻きつけ、

「ふふ、つかまえたわ」

 ルノはまだ幼い顔に満面の笑みを浮かべる。
 勝ち誇った顔、というのに近い。

「まったく、ひとがいない間に逃げようとするだなんて臆病者のすることね。こーんな高さも飛び降りられないなんて呆れちゃう。お前ってば弱虫なのね、イジュ?」

 『臆病者』『弱虫』という言葉を年下の少女から言われて嬉しい男はあまりいないだろう。ましてやイジュはまだ十五の少年だ。流麗な眉をむぅっと寄せ、反抗的な色合いを帯びる翠の眸をルノに向ける。

「悔しかったら、反論のひとつやふたつしてみなさい」

 ここに至ってようやく王女はイジュの髪を離して起き上がった。ドレスについた葉っぱを軽やかに払い、遅れてやってきた侍従長に朝食の用意を頼む。芝生に座り込んだままイジュがそれらを無遠慮に見つめていると、数歩行ったところで王女がくるりと振り返った。

「それとイジュ。今日の朝食はお前の部屋で食べると今決めたわ」


***


 朝食の用意は有能なる料理長の采配で手早くなされた。
 イジュの部屋の小さな丸テーブルにリネンのテーブルクロスが引かれ、スライスされたパン、木苺のジャム、ひよ豆のスープに、紅茶、ナイフやスプーンといった木製の食器が並ぶ。ほかほかと立つ湯気と一緒にいいにおいがしたが、無理やり首根っこをつかまれて部屋に戻されたイジュはぶすっとした顔でシーツにくるまっている。見かねた侍従長が席につかせようとするも、部屋の隅っこから頑として動こうとしなかった。

 王宮に連れて来られて五日目。懐くどころか、イジュはこの王女を毛嫌いしているようだった。終始仏頂面で、隙あらば、逃げ出そうとする。
 だけど、それはイジュにしてみれば当たり前で、突然見ず知らずの少女に名前をつけられ、お前は私のものだと宣言され、そのまま屈強な男に担がれて馬車に押し込められて人攫いよろしく王城に連れて来られたのだから、警戒だってする。

「いいわよカメリオ。イジュはおなかが空いてないそうだから。食べたくないひとに食べられたら、パンやひよ豆のほうだってかわいそうだわ」

 イジュの刺々しい視線を背に受けながら、ルノは平然とスープを啜った。王女は五才児とは到底思えない、完璧なテーブルマナーで、優雅にナプキンで口を拭いてみたりする。普通ならおしゃまな子供の背伸びっぷりに苦笑が漏れるものだが、この姫に関してはいっそ感嘆の白旗を掲げたくなるくらい、ひとつひとつの所作がさまになっていた。
 ――『王女』とは皆こういうものなのだろうか。それとも、この姫が特別ヘンテコなのだろうか。イジュにはよくわからない。そしてそんな高尚なものがわからなくても、イジュの低俗な腹はにおいにつられてぐぅと薄情な音を鳴らすのだった。ルノがちらりとこちらに視線をやる。負けじと見つめ返すと、王女はふっと意地悪く笑い、これみよがしにパンを口に入れた。イジュはますます機嫌を悪くする。

「不満があるなら言いなさい。食べたいの? 食べたくないの? 声が出ないわけでもないでしょうに、お前の口は愛らしい飾りか何かなのかしら?」

 ルノはスプーンの先をイジュのほうへ向けて、あからさまな挑発をする。それでもイジュが口を利かないでいると、王女はつまらなそうに息をつき、スプーンを空にしたスープ皿に戻した。

「それにしてもお前」

 食事はもう終わったらしい。ルノは口元にナプキンをあて、それを片付けにやってきた使用人に渡すと、椅子から降りた。ちょこちょこと膨らんだドレスを揺らしながらやってきて、イジュの前に立つ。イジュが丸まっているせいで、目の前に立った少女と視線の高さは同じくらいだ。ルノはイジュの伸びっぱなしになっていたヘイズルの髪を引っ張り、顔をのぞきこんだ。

「本当に汚いわね。肌も垢だらけよ。あとでイライアに洗ってもらいなさい」

 イジュは嫌だったからルノに抗議混じりの視線を送ったが、ルノのほうはそんなもの露とも介さず、「お願いね」とイジュに対するものよりはずっと優しく丸い声でカメリオに命じた。


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