それから二年の勉強期間を経て、イジュは十七歳の秋、晴れて月白宮の使用人の募集試験を突破した。特に神学と語学の点数は抜きん出てよく、これは月白宮始まって以来ではないかと試験官たちを唸らせた。ただし、九科目目の歌学だけは落第すれすれであり、実技でついたマイナスを紙のほうで補う形になった。歌なんて、とイジュは言うが、この少年が美しい声をゴミ箱に捨てるような、悲惨な音程を持っているのは紛れもない事実のようだ。 ちなみに王宮へのイジュの推薦であるが、誰がその役目を担うかで月白宮内でもめたのち、無難にカメリオが務めることに決まった。カメリオは今、同時にこの少年の後見人でもある。 かくして、イジュはルノ姫自らの手によってユグドラシルを模した紋章を与えられることに相成ったのだった。 「誓いの言葉を」 乞われたイジュは、皆が口にする「イェン・ラー」の代わりに、「ジェイス・ラー」とあの歌うような美しい声で言った。嘘偽りのない気持ちだった。 そして月日はめぐり、八年が経つ―― ・ ・ ・ 「ルノさま! あなたはまた!」 イジュは山と抱えた書物を机に置くと、窓にブーツの足をかけている少女にいつもの怒声を浴びせる。十五歳になった姫君は相も変わらずのお転婆ぶりで、今日も今日とて窓枠に足をかけて外に抜け出そうとしているのだった。 「イジュ、お願いよ。今日は見逃してちょうだい。おじいさんがね、久しぶりに王都に帰ってきたのよ!」 ルノのほうは喜びを隠せないといった風に窓枠に足をかけたまま、イジュを振り返る。二年前、王都を去った吟遊詩人からここ月白宮に手紙が届いたのはつい先日のことだった。ほんの短い間であるが、旅の途中に王都に寄ることになりそうだ、と末尾にクレンツェで見つけたという蝶の絵とともに書かれていた。手紙をもらったルノはさっそく友人を訪ねにいくことにしたらしい。イジュははぁ、とこれも毎度のことになってしまった深いため息をつき、開いている窓枠に手をかける。吹き込む風に、少女の長い銀髪が揺れた。目を細めて、背に淡い陽光をまとったかのような少女を眺める。 「まったくもう。あなたはいったいいつこんなお転婆なことを覚えたんでしょうね」 「あら、やだ。イジュったら」 ルノはくすりと笑うと、イジュの首筋にかかったヘイズルの髪を引いた。そしてほんの少し身を乗り出して、小さな手のひらを添えた頬に羽根がひとひら舞い降りるようなキスをする。 「お前が教えてくれたんじゃない?」 きょとんと翠の眸を瞬かせるイジュを置き去りに、ルノは猫のようにしなやかにシーツを伝って地面に降り立った。小さく手を振って走っていってしまう王女を見送り、イジュはやれやれと苦笑混じりに窓を閉める。そして王女の枕元に置かれた蒼のカメオのオルゴールを手にとって、いつものように綺麗に布で磨くのだった。 今日もまた、月白宮の一日が始まる。
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