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07




「つまりアレかな? ルノ姫は、自分の大好きな父君の顔をロバにした学生が許せなくって遠路はるばるこんなところまで忍びこんできたというわけ?」
「まぁ……かいつまんでかいつまんでかいつまんで言うなら、そうなるわね」
「ふぅん。暇人」
「なんっ……!?」

 さらりと飛び出た無礼にもほどがある言葉に、ルノはむっとなって膝に置いていた鬘を投げつけた。それは見事男の顔面に命中する。柔らかな栗毛を使った鬘は当たってもさほど痛くなどないが、やたらに図柄が間抜けだったこともあってか、シャルロ=カラマイは微妙に憮然とした顔つきになった。胸のすく思いがして、ルノはにっこりと、教会のステンドグラスに描かれる聖女シュロ=リシュテンさながらの清々しい笑顔で言ってやる。

「サボり魔のあなたには言われたくないわね。その上夜まで? どこ行っていたのあなた」
「……きみに教える義理はないねぇ」

 鬘を投げつけられて機嫌を損ねたのだろうか、シャルロ=カラマイは常にも増して冷ややかに言った。なんて器の小さな男なのだ。呆れた顔つきでふぅんと気のない返事をし、ルノはベッドを占領している本を数冊床に下ろした。シャルロ=カラマイが手伝ってくれないので、さっきからルノがひとりで本の片付けをやらされているのだ。対面のベッドに悠々と腰掛け、片付けた端から本をめくっている男に、ルノはこれみよがしに嘆息してみせた。

「ちょっと。少しは手伝いなさいよ。それにあなた、お酒のにおいがぷんぷんするわ」
「あーそう? ごめんねぇ」
「わかってるなら、窓を開けて」
「命令? 自分でやりなよ」

 よもやまだ鬘を投げつけたことにむかっ腹を立てているのか。
 シャルロ=カラマイは緩めたローブの衿元をぱたぱた振りながら口元に意地の悪い笑みを載せる。普段ひとに命令のし慣れているルノは一瞬むっとなったが、安物の酒の悪臭に耐えられなくなって、しぶしぶ自分で窓を開けた。吹き込んだ冷涼な夜風を吸い込んで深呼吸をすると、くるりと向き直って腕に抱えていた本を男の膝に下ろす。

「手伝いなさい。これはあなたの本よ」
「……」
「シャルロ=カラマイ」
「……はぁい。わかったよ『女王』サマ」

 肩をすくめて、シャルロ=カラマイは膝に積まれた本を床に下ろした。何冊か開いたままベッドに置いてあった本を拾い上げて、畳む。

「なんかさぁ。きみ、可愛くなくなったよね。三年前より」
「あなたは前よりさらに嫌な奴になった」
「あのときはワタシも王女さまに合わせて、紳士らしくしていたのですよ薔薇の姫。――ああ、お手紙ありがとうね。おじいさん、帰ってきたんだって?」
「ええ。会いに行った?」
「ううん」
 
 少し前、ルノはシャルロ=カラマイ宛に手紙を書き、昔馴染みの吟遊詩人の帰還を事務的に知らせた。報せを受け取った以上、当然会いに行ったものだとばかり思っていたルノは、逆の答えがさも当然といった風に返ってきたので、一瞬言葉を失ってしまった。シャルロ=カラマイが苦笑する。

「なーに、会いに行ってないとだめなの?」
「そうではないけど。あなたもおじいさんに会いたいんじゃないかって思っていたから……」

 ルノにしては珍しく歯切れ悪く、ぼそぼそと心中を口にする。

「まぁ暇が空いたら。訪ねるよ」

 ルノの気持ちを知ってか知らずか、シャルロ=カラマイは平然と言った。
 この男にとって“知り合い”とはこちらが思っている以上に酷薄な存在なのかもしれない。だってこの三年、ルノがときどき思いついて手紙を送ったって、シャルロ=カラマイは一度も返してはくれなかった。おじいさんはちゃんと、今自分が旅をしている国やそこで出会ったひとのことなどをこまごまと綴った手紙を返してくれたのに。生来、ひとに振り回されることが嫌いなルノは、この男からの返事を今か今かと待つのがつまらなくて、そのうち手紙を出すのをやめてしまった。今も、私の出した手紙は読んだの、などと馬鹿なことは聞かない。どうせ、けろりとした顔で忘れていたと言われるに決まっているからだ。
 たぶん、彼は正しく自らが口にした『ギブ・アンド・テイクの法則』に則って生きているひとなのだ。与えられたものに、それに見合うだけの対価を返す。ものは物であって、常に目に見えてなくてはならない。それがわかっていたので、ルノは最初に銅貨二枚を男の膝に置いてしまった。

「何これ?」

 さすがに怪訝そうな顔でシャルロ=カラマイが尋ねる。
 情報料、とルノはいたってシンプルに答えた。
 片付け終えたベッドに座る。本をどかしたとはいえ、そもそもが狭い部屋であるので、対面のベッドに腰掛けるシャルロ=カラマイとは膝がくっつきそうなほど近い。足元でか細く燃えるランプの明かりがルノとシャルロ=カラマイとを照らしていた。

「あなた、ここの学生でしょ? 端的に聞くわ。神学生の中で印刷ギルドに風刺画カリカチュアを送っている人物に心当たりはある? もしくは絵が得意な学生とか、しばしば外に手紙を送っている学生、不審な動きをしている学生でもいいわ」
「まぁ、なくはないかな」
「誰?」
「ワタシ」
「……は?」

 知らずルノは眉をひそめた。シャルロ=カラマイは手の中で銅貨を弄りながら「だからワタシですよワタシ」と繰り返す。

「絵が得意でしばしば外に手紙を送っていてよく不審な動きをしている学生。ここの人間に聞きまわってごらん、十人が十人ワタシの名を挙げるから」
「冗談を言ってるなら銅貨を返して頂戴」

 飄々と嘯く男に苛立ってルノが手を伸ばそうとすると、シャルロ=カラマイは「おっと」と胸をそらしてよけて、銅貨をすばやくポケットに突っ込んだ。わかったわかった、ととりなすような言い方をする。お金を大切にするのは構わないが、この男の場合は無駄に守銭奴じみた印象になって、気分が悪くなる。

「真面目に答えますってば。まず一個目ね。絵が得意な学生ならたくさんいる。何故なら、ワタシたちには写本の時間というのが毎日あって、そこで写した聖句に装飾を施すのも仕事のひとつであるから。絵画の技法は一通り習ってるんだ。次に、外と手紙のやり取りをする学生ならさらに多い。ほら、ここって基本的には外出禁止ですから? 家族への手紙はもちろんのこと、日に何通も故郷の恋人に熱烈な恋文ラブレターを送っている奴だっているよ。なんなら明日調べてみるといい。最後に、不審な動きをしている奴がいるかって話だけど、ええとユゥリートっての知ってる?」

 綴りを教えているつもりなのか、シャルロ=カラマイの指がU-R-E-T-Oとすらすら宙を動く。だが、幸運にもルノはすでに彼と対面を済ませていた。

「知ってるわ。黒髪の背が高い男のひとでしょう」
「そうそう、学年首席の」
「そういえばペンネがそんなことを言ってた」
「彼だけど。夜な夜な図書館に出入りしてるよ。何してるんだか知らないけど、いつも律儀に羽根ペンとノートを持ってさ。たまーにすれ違うから間違いない」
「ちょっと。あなたのほうは何やってるのよ」
「それは教えられないねぇ。銅貨二枚ぽっきりじゃ」

 銅貨を突っ込んだポケットをちゃりちゃり鳴らして、シャルロ=カラマイは目を細めた。それで話は終わったものと考えたらしい。うんしょ、と腰を上げると、ベッドに積まれた本を少し脇に押しやり、寝るスペースらしきものを作る。断りなく窓を閉めたシャルロ=カラマイがいそいそとローブを脱ぎ始めたので、ルノは思わず目をそらした。

「な、な、何をしているのよ!」
「何って寝支度。疲れてるってさっき言ったじゃあないですか。その上お喋りまでさせられて、正直疲れ果ててんの」
「悪かったわね、疲れ果てさせて。でも銅貨はちゃんと払ったわ」
「銅貨はね。だからワタシもちゃんと答えたでしょ」
「一度取引に乗ったからには、うじうじ文句言わないで。女々しいわよ」
「ごめんねー、女々しいのは俺の性格なの。ルノ姫さまは余分なくらい雄雄しくていらっしゃるから差し引きゼロじゃない? あーもう明かり消していい? 明るいと俺眠れない」

 そうしてシャルロ=カラマイはルノの承諾も得ず勝手に明かりを落とす。衣擦れの音と、ロザリオが置かれる微かな金属音。やがて静かになった暗がりへとルノが目を戻せば、男はリンネルのシーツをかぶって寝息を立てていた。ローブもロザリオもどうだっていいように床に放置されていたが、銀製のあの古びた懐中時計だけは枕元にしっかり置いて、鎖も手首に巻きつけている。別に盗りはしないのに、とルノは思ったが、それだけ大事なものなのだろうか。ひとつ茨の紋様の彫られた懐中時計。ひとつ茨とはいったいどこの紋だったかとしばらく物思いにふけってみたものの、男の心地よさそうな寝息を聞いているのも馬鹿馬鹿しくなってきて、ルノもまた明日に備えて眠りにつくことにした。寝仕度を整え、少し埃っぽいシーツをかぶる。風が強いのだろうか、外ではごうごうと壁に何かがぶつかるような音が鳴っていて、それが時折ひとの悲鳴のようにも聞こえ、ルノはシーツの中で丸まったままなかなか寝付くことができなかった。





「――聖音鳥シュロが目を覚ましたか」

 深夜である。
 なかなか寝付けなかった少女がそれでも深い眠りに落ちた頃、不意に眸を開けた男は、窓の外に耳を澄ませて低い声で呟いた。ぱちん、と懐中時計の蓋が鳴る。文字盤を眺める金の眸は冷ややかで、そこから何がしかの感情を読み取ることはこの国に君臨する『神』でさえも難しかろうと思われた。


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