←BackTop | Next→


03




「ルノ」
「なんですか兄上」
「その皿の端によけているものは何だ」
「玉葱のマリネですが何か」
「ふん、好き嫌いか。一国の王女ともあろう者が」
「兄上こそ。その内ポケットに忍ばせたものはなんです」
「蜂蜜だが何だ」
「ふふ、イイ歳をした殿方が蜜を垂らさねば葡萄酒ワインも口にできぬとはとんだお笑い種ですね」

 くすっと王女は笑い、氷で冷やした林檎酒に口をつける。
 びりびりびりびり
 いっそ音になって聞こえてくるのではないかと思えるほどの険悪な視線の応酬がテーブルの左右でなされているのだから、周りに控えた給仕たちはたまったものではない。その中で、中央に座ったユグド王スゥラ=コークランだけが、「ニコの焼いたパンは絶品だな。おかわりおかわり」とひらひら手を振って料理長を呼びつけている。
 これが月白宮にて久々に叶った、コークラン王家の食卓であった。王家の面々が一同に集う機会は普段ほぼ皆無と言っていい。ここ十年ほどウル王子は王宮に戻ることはほとんどなかったし、ユグド王の住まう太陽宮は月白宮に隣接しているものの、多忙な王は一年の大半をよそで過ごしていて、顔を合わせるのは終末祭や年初めに限られていた。

「イジュ。お前、ルノの育て方を間違えただろ。全然可愛げってもんがない」
「あーら、兄上。それは聞き捨てなりませんね。イジュが私を育てたんじゃありません。このわ、た、しが! この子を育てたのです。そうでしょうイジュ?」
「イジュ。このじゃじゃ馬に話を合わせることはないぞ。お前みたいな我侭高飛車王女につきまとわれていい迷惑だと返してやれ」
「イジュ」
「イジュ」

 夜の空色をした藍と、朝の空色をした蒼の眸とに揃って睨めつけられ、カメリオの隣に控えていたイジュは「は」と短く返事ともつかぬ声を出したきり、じりりと後退した。王族ふたりの眼光は鋭い。ええと、と視線をそらして言いよどんでから、空っぽになっていた両名の皿に気付き、「食後の紅茶はいかがですか」と微笑む。

「いる」
「いるわ」

 声も語調もそっくり重なる。
 そのことに当の本人たちはいたく気分を害した様子で大いに顔をしかめ、ぷいとそっぽを向いてしまったが、あたりの笑いを誘うには十分であった。




「そういえば、鴉片アヘンの密輸に関わっていたジュダ老だがな。捕まったそうだぞ」

 濃い目に入れた春摘みのダージリンと一緒にニコお手製のルバーブジャムのガレットをつついていたウル王子は、手にした本から銀製の栞を抜き取りながらぽつりと言った。そのかたわらではルノとスゥラ王がテーブルに置いたチェス盤を挟んでどちらも引かぬ一戦を繰り広げている。十年以上も昔に離宮に移った祖母から王女に譲られた宮殿の一部、月白宮。月白宮は、王女の愛する蒼と白、花と風と音楽とで形作られている。光を隅々まで取り入れられるよう広くした窓には蒼灰色のカーテンがかかり、火のない暖炉には王女がクレンツェで集めたオルゴールがいくつも並ぶ。部屋の中央には亡き皇后が愛用していた銀の猫足を持つ長椅子が置かれて、今はこの国の王がのんびりとクッションに身を沈ませてくつろいでいた。

「教会の七大老の尻尾をよくつかめたもんだと最初感心したんだが。どうやら他の大老が見限ってこちらに突き出しただけらしい。欠けた穴を埋める大老には大学の現学長――リシュテン侯爵家のリシュテン老がつくのだとか。どうなんだ父上?」
「うん? さぁなぁ」

 黒の騎士をぶらぶらと動かしつつ、スゥラ王は愛嬌のある笑い方をして肩をすくめる。

「教会内部のことは俺にもよくわからん。あちらがあげてきた人選に俺は許可の印を押すだけだからな。お前のほうがずっと知ってるんじゃないか」
「一神学生に知れることなんて限られてる。しかし、気に食わないな。てっきり鴉片アヘン密輸への関与で教会のハリネズミどもを一掃できるかと思ったのに、結局はリシュテン一家にうまい汁吸わせてやっただけじゃないか」
 
 ジャムを載せたガレットを口に運びながらウルは忌々しげに独白する。直情的なルノと違い、ウルはいつも婉曲的で回りくどい表現ばかりを使う。今回もそれだった。にわかに眉根を寄せたルノには一瞥もくれず、ウルは足を組み直して本へ目を落とす。
 リシュテン老、リンゼイ=リシュテンというのは、もとは北方のノースランドに近いシャルロットの領主であり、今のシュロ=リシュテン――リシュテンの聖女――の実父にあたる。代々リシュテンの聖女を輩出しているリシュテン家には四十を数える分家があり、それら一切を束ねあげてきたリシュテン老にはまだ五十に届かぬ齢ながら不思議な貫禄が備わっている。退いた父に代わり爵位を継いだ息子のニヴァナ=リシュテンも、次期大老候補と称されるほどに才気溢れる青年侯爵であった。
 口を閉ざしてしまった王子を眺め、スゥラ王は和やかに苦笑する。

「教会にリシュテンとな、そう不服そうに言うな」
「不服なのだから、不服と言って何がいけない。僕は教会っていうのが昔から大嫌いなんだ。だいたい父上もどうかしている。あのリシュテン家などに――」
「ウルさま」

 王子の言葉を牽制するように、それまで沈黙を守っていたカメリオが厳かな声音で王子を呼んだ。藍色の眸がスゥラ王から逸れる。スゥラ王はあからさまに肩をすくめたが、この王と付き合いの長い侍従長は首を振って続けた。

「ご高説すばらしいですが、それは大学にお戻りになってから反骨心豊かな学生たちとご議論なさいませ。さておき、お手紙にて練習を勧めておきましたダンスのステップはいかがなさりました? この爺めは、殿下の華麗な輪舞ワルツを楽しみにしていたのですが」
「げっ」
 
 いちばんの弱点を指摘されて、それまで泰然と読書にふけっていたウルはとたんに及び腰になる。この兄王子といえば、昔から頭のほうは誰よりも切れたのだけど、代わりにダンスや剣舞といった身体を動かすものは一切合財不得手だった。苦手というか、壊滅的で絶望的なしろものであった。ルノに、もやしの兄上、と呼ばれるゆえんである。「ま、ま、ま、また明日だ……」と本を抱えて逃げ出そうとする王子の首根っこをつかみ、「いいえ殿下、食後の軽い運動は健康にもよいと言いますよ」とカメリオは隙のない笑顔で言い放ち、もがく王子を引っ張ってその場を退出してしまう。物静かなようで、その実台風の目のような王子がいなくなってしまうと、居室は気の抜けたような静寂に包まれた。ルノは嘆息して、父王を見上げる。スゥラ王は苦味を帯びた笑みをこぼしつつ「まったくウルはうるさくてかなわんな」とルノが思っていることと同じことを口にして、大きな手のひらでルノの頭をくしゃくしゃと撫ぜた。

「あまり気にするな。アレの言うことは基本偏ってる」
「ええ、知ってる。兄上はひねくれてるだけで、悪気はいつもさっぱりないのよ。……ねぇ父上」
「なんだ?」
「父上は、聖音鳥を見たことがある?」

 兄が早々に退出してしまったせいで聞かずじまいになってしまったことを問うてみる。この前教会に忍びこんだときに見つけた、背に翼を生やした白亜の少女。聖音鳥シュロ、と神学生は呼んだ。彼女のことがルノはずっと気にかかっていたのだった。古より、魂を樹天に運ぶとされる神の御使い、聖音鳥。もしも神学生が言うとおりあの子が聖なる小鳥であったとして、それが何故あのような銀製の檻に閉じ込められていたのか。――コークラン、ずっと、あいたかったわ。そんな風に語りかけ、ルノに襲い掛かったのは何故? それに。それに、あの部屋に聖音鳥はひとりきりだった。聖音鳥の守り手と呼ばれるシュロ=リシュテンはあのような姿の聖音鳥を置いて、いったいどこへ行ってしまったのだろう。
 スゥラ王はしばらく思慮深い眸でルノを見つめていたが、やがて「聖音鳥は秘された存在だからな」と呟いた。

「じゃあリシュテンの聖女には?」
「シュロ=リシュテン? ああ、それならあるぞ。俺がお目にかかれたのは数代前のシュロ=リシュテンだが」

 そこでスゥラ王は言葉を切って、少し不思議そうにルノの眸をのぞきこむ。

「けれどルノ。お前は今代のシュロ=リシュテンに会ったことがあるはずだぞ。幼いお前のこうべを洗い、王族に与えられる花と風の祝福を授けたのは今代だからな。幼すぎて忘れてしまったのかな」


←BackTop | Next→