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07




 びっくり、してしまった。
 ソレが何なのか、わからなかったわけではない。知識として、ある一定の年齢に達した女性がそうなるのだと知ってはいた。知ってはいたけれど、今日来るだなんて思いもしなかった。だから、ルノはしばらく真っ白なリンネルのシーツに点々と落ちた血を見て呆然としてしまったのだった。おそるおそる指で触れると、それは赤黒く固まっていた。

「……いじゅ、」

 身体にかかっていたシーツを腰元に引き寄せると、ルノは窓のカーテンを開いていた青年の背に声をかける。どうしてだろう。落ち着いて出したはずの声はどうしようもないくらい震えていた。だって、こわい。コワイ。自分の身体の中からこんなにたくさんの血が流れ出るだなんて。こわい。きもちわるい。

「イライアを呼んできて」
「イライアですか?」

 いつもなら、朝の寝起きの悪いルノのために濃い目の紅茶を淹れて持ってくるのはイジュの仕事である。女官長のイライアがやってくるのはそのあとで、それから着替えや毛づくろいをするのが常であった。イジュはいぶかしげな顔をしてかがみこみ、ルノの頬に手をあてがう。

「お顔色が悪い。どうかなさいました?」

 頬に手をあてがわれる。これまで幾度となく繰り返された行為であるのに、そのときは羞恥心がこみ上げてどうしようもなくなった。ゆるゆると首を振って、俯く。

「ど、どうもしてないわ。イライアを呼んで」
「だから、どうしてイライアを」
「お前じゃだめなの! 早くイライアを連れてきて!!」

 何かが爆ぜるように怒鳴りつけた。何故こうも心細くて、不安で、おぼつかなくて、それに対して苛々しているのか、わからない。駄々っ子が癇癪を起こしたみたいに怒鳴ると、イジュは翠の眸を軽く瞠った。このやわな男はルノの言葉ひとつですぐに傷ついたような顔をする。どうしてそんな顔をするのよ、と心の片隅では思ったのだけども、それをすくいあげるだけの余裕を今のルノは持ち合わせていなかった。泣くのは嫌で、それだけは絶対に嫌で、唇を噛んでじっと俯いていると、そば近くの青年の気配がふっと様相を変えたのがわかった。

「すぐに呼んできますから。大丈夫ですからね、ルノさま」

 微笑み、幼子をあやすように頬を手の甲で優しく叩く。あとの従者の動きは実に鮮やかで、部屋のベルをひとつ鳴らすと、駆けつけたリラにイライアを呼びに行くよう命じて、ひっそりと扉を閉めた。





 けれど、結局ルノは泣いてしまった。
 侍女すべてを追い出して、イライアとふたりっきりになって、ようやく毛布の下に隠していた汚れたシーツを見せたとき、それを見たイライアが「びっくりしてしまわれたでしょう、姫さま」と微笑んでぎゅっと抱き締めてくれたとき、ずっと張り詰めていた糸がぷつんと切れて、涙がぼろぼろこぼれてしまったのだった。イライアの胸に顔を押し付けながら、ルノは途切れない嗚咽に歯噛みする。どうしたのだろう。こんな程度のことで泣き出す自分も、怒鳴りつける自分も、みんなルノの知っているルノじゃない。王女ルノ=コークランはこんなみっともない醜態をさらしたりしない。さらしたりしない、と思うと、ルノの胸ににわかに違和感が生まれて、それは淡い恐怖のようなものに取って代わる。
 ひとしきりルノを抱き締めて背をさすり、ルノの嗚咽が静まってきたのを見て取ると、イライアはそっとリラを呼びつけて、蜂蜜をたっぷり入れたカモミールティを淹れてくれた。温かな白磁のカップを両手で抱え、ちびちびと飲む。香りのよいハーブティは、下腹部のほうでこごっていた臭気と重い鉛のような痛みを柔らかく溶かしてくれるようだった。ほっと息をついていると、「落ち着かれましたか?」と優しく尋ねられる。こくんと小さく首を振ると、イライアは手早くシーツを片付けて、リラにマルゴット先生を呼ぶよう命じた。



「『初花』だね、姫君。だいじょうぶ、ビョウキじゃないよ」

 常のとおり飄然とやってきたマルゴット先生はルノの訴えをひとおり聞くと、「失礼」と一言だけ断りを入れて、ルノのシミューズの裾をひっぺがし、下肢をのぞいた。そして、腹のあたりや頬を触り、「うん」とうなずいて、かくのごとく述べたのだった。ベッドにちょこんと腰掛けたルノの対面に座って、マルゴット先生はにこやかに笑う。ルノはそれをそろそろと上目遣いにうかがった。

「初花、ってあれよね? 月の……」
「そうだよ月の障り。なんだ、ちゃんとご存知なんじゃないか。貴族のお姫さまだと、ときどき知らないで大騒ぎするのがいるからなぁ。偉いね、姫君」

 ルノが言いよどんだ言葉をあっけらかんと口にして、マルゴット先生は眼鏡の奥の目元を和ませた。

「つまりね、あなたはオトナの淑女レディになったってこと。おめでとう、姫君。これは祝福するべきことなんだよ」

 不安そうな顔をしたことに気付いたのだろうか。赤子の頃からの付き合いであるマルゴット先生は優しくルノの頭を撫ぜて、向こう一週間は安静にするようにとのお達しを出した。


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