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03



 ユグド王宮の星詠み師レント公へ、クレンツェの駐在大使ガルがやってきたのは年が明けて早々のことだった。表向きはユグド王国建国千年の祝いであったが、不在の国王及び国王代理に就任したウル王子を探るためであったのは言うまでもない。ユグド王国は周辺五国と友好同盟を結んでおり、それぞれの国には駐在大使が派遣されている。当然ユグド王都にも各国の大使館が並んでいたが、個別に面会を申し入れてきたのはクレンツェが最初だった。クレンツェの航海王マーレは在位二十年を数え、年齢が近いこともあってユグド王スゥラとの親交も深い。このため、駐在大使ガルの伝えるマーレ王の憂いは深かった。

「ハザ公国の代行はなんと仰られてます?」
「すぐにあちらに駐在しているメメリを遣わせたが、なんとも的を得ん。ただ、どうやらスゥラ王、ハザ公の護衛をしていた《巨人槍》が一緒に消えてしまっているのは確からしい。場所はちょうど赤の火口痕付近だったというが」
「《巨人槍》は、国内外に独自の情報網を持っていたはず。そちらもだめだったんですか?」
「今のところは引っかからん」

 《巨人槍》とは傭兵からなるハザ公専門の護衛団である。金銭で雇い主を決める彼らであるが、現ハザ公には厚い忠義を誓っており、その守りは鉄壁であるとされる。また、ユグド王側も護衛には随一の騎士たちをつけている。それらが突如姿を消すとは、通常ではなかなか考え難かった。ありうるとすれば、内部の裏切りか。
 こめかみを揉んだ星詠み師レントに、古くからの知己でありクレンツェ駐在大使でもあるガルは苦笑を浮かべた。

「万に一つ、ハザ公国に我々と戦を構える意志があるのなら、王の失踪などというまどろっこしい手は使わんでしょう。もとより、遊牧の民が治めていた国です。気性は荒いが、信義には篤い。すぐに今のハザ公弟が訪れ、釈明したのが何よりの証拠」
「ああ。しかし、だからこそ余計に見えぬのよ」
 
 ハザ公弟ギイは、年が明けた今もユグド王国のハザ大使館にとどまっている。公弟はハザ公とは歳の離れたまだ若い青年で、兄弟たちの中でもことのほか公の信が篤い。現在、ハザでは公の二番目の弟の指揮のもと、ユグド王国とハザ公国の合同部隊が消えた王たちの行方を追っている。

「スゥラ様といえば、あちらへこちらへ風のように旅するお方ではあったが、こたびは悪戯がすぎるのう……」
「すぐお戻りになられますよ。我々に心配をさせて、いつも何食わぬ顔で戻られるのがスゥラ王じゃありませんか」

 ガルはつとめて明るく笑い、クレンツェ産の発泡酒を傾けた。葡萄酒と異なるそれは、口に含むと苦く咽喉で弾ける。そこへ、「どうだか」と冷めた声が挟まれる。ウル王子だった。ふたりのやり取りを無気力そうに聞いていた王子は、ふいに身を起こすと、あくびで出た涙をこすった。

「フォーレはどうしている?」
「……北の大国ですか?」

 虚をつかれたらしい。レントは瞬きをした。

「確か、新王がたったばかりだったな。なんでも妾腹の子で、兄弟たちを皆惨殺して玉座に就いたそうだぞ。まったくなんだってこんなもの、そこまでして欲しいんだか」
 
 まるで世間話のように言って、ウルはまた手元の書物に目を戻してしまう。ガルは王子がまたお戯れを、と呆れた顔をしたが、レントのほうは何やら深刻そうな顔つきで唸ると、口を閉ざした。ほどなくレントは文を一通したため、信頼ある情報屋へ連絡を取った。内密にフォーレの動きを探るためである。


***



 ニヴァナが月白宮へ足を運んだのは結局、しばらくあとになった。
 年が明けてもリシュテン老の病は回復することなく、ニヴァナは王都にとどまり、父の代行で昼夜の別なく働いていたためだ。

「フロウ様からです」

 ようやく作った時間で月白宮へ向かう馬車の途上、随身の少年ルタが開封されていない文を二ヴァナに差し出した。妹のフロウは普段は口を開くだけで頬を真っ赤に染めてしまうような内気な娘であるけれど、文の中では明るく饒舌だ。まるで閉じ込めていたものが溢れ出すようだ、とたとえていたのは姉のエヴァだったか。封を開くと、懐かしいシャルロットの雪のにおいとともにインクの芳香が広がった。数枚に渡る手紙の内容は、なんてことはない日常の話で占められている。目を通していると、ルタが少しだけ気にした風にこちらをうかがっていることに気付いた。ルタは生い立ちゆえか、十三歳という年齢に似つかず、どこか悟りきったような独特の雰囲気を持っている。だからこそ、その眸に浮かんだ少年らしい興味を面白く思った。

「飼っている小鳥が卵を産んだと言っている」
「そうですか」

 返事は存外そっけない。けれど、フロウは元気そうだ、と言ってやると、伏せた目に優しい光が宿った。この異国の血を引く少年を拾ったのはもうずいぶん前のことだった。南大陸からの行商が運んでいた檻の中に、ルタは裸でうずくまっていた。革の鞭で叩かれそうになっているのを、買いましょう、と言って遮ったのは妹のフロウだった。もしかしたら恩のようなものを感じているのかもしれない。フロウが書いた手紙を見せてやろうかと思ったが、そういえばこの少年はユグド文字が読めなかったのだと気付き、差し出しかけたそれを畳んだ。代わりに別のことを訊く。

「クロエは見つかったか」
「……いえ、まだ」
「あれは不死身だからな。時間を与えると、面倒だ」
「どうしますか」
「黒騎士を呼ぼう」

 すでに考えていたことだった。ユグド王立教会の五騎士――北騎士は聖女の護衛、南騎士は七大老の護衛、東西は教会の守りがおもな任であるが、黒騎士はそれ以外のすべての事案を所掌する――つまり表にはできないありとあらゆる仕事を請け負ってきた。時として拷問や殺しを辞さない非情さは、他の騎士たちにすら忌み嫌われている。特に北騎士ツァリ=ヨーシュとは相性が悪く、顔を合わせれば互いに舌打ちをしてきびすを返すほどだった。

「生け捕らせる。何、あいつは決して死にはしないのだから、手加減をする必要がない。しかも今は魔術が一切使えないときている。簡単だ」
「ですが時渡る魔術師には、女魔術師がついています」
「オテルは有能だが、小娘だ。黒騎士なら、どうとでもするさ」

 そうですか、とルタは淡泊にうなずいた。わかっているのかいないのか、この少年の場合はこれが常なのでいまひとつ判別がつかない。

「……それと、旦那様。聖女と聖音鳥の件ですが」
「ああ、イジュか? ヘルヴィンナ峡谷で見つかったと聞いたが」

 件のツァリ=ヨーシュから少し前にその報告は入っていた。北の塔を抜け出したあと、イジュは単独でヘルヴィンナ峡谷に向かい、川の浅瀬で倒れているところを発見されたらしい。ヘルヴィンナはルノが失踪した場所であるし、いずれは足を向けたがるであろうことは予想していた。行ったところで、すべては抹消されたあとだ。何も見つけられまい。

「聖音鳥が、聖女と王の契約を結びました」
「何?」
「俺の蜥蜴が騒ぎましたので。おそらくですが」

 ルタは、浅黒い肌の下に黒い蜥蜴を飼っている。かつて神の遣いと呼ばれた獣たちが聖音鳥を残し西大陸から去って久しかったが、南大陸にはまだ残っているものもいて、ルタとこの黒蜥蜴がそうだった。ただし、信仰自体は廃れ、今では旧時代の遺物として迫害の対象になっているのだという。奴隷売りから買ったルタの身体には無数の暴虐の痕があり、それだけでこの十代半ばの少年がどのような人生をたどってきたのかはたやすく想像がついた。はじめて出会ったとき、ルタはニヴァナに、俺はあと十年も生きられませんがよろしいですか、と尋ねた。黒蜥蜴は、ルタの心身を削るのだ。

「クロエは、かつて幼い私に言ったよ。聖音鳥に決して、王を選ばせてはならないと。それは聖音鳥を守るためでもあり、聖女を守るためでもある。この意味について、考えていた。ルタ。何故聖音鳥が結界を破ったとき、イジュもまったく同じように苦しんだんだろうか」
「それは……」
「聖女と聖音鳥についてはこれまでもいくつかの報告が上がっている。何代かに渡って共通して言えるのは、感覚の共有。かつて、今のような二年の任期がなかった時代には、聖女の多くが発狂や自殺などの悲惨な死を遂げた。たいていは聖音鳥の干渉に耐え切れず、心身を壊したという。もちろんイジュのように、初期にも十年、二十年に及ぶ任期を過ごした聖女もいるにはいたらしいが。しかし何故、聖女と聖音鳥の感覚は共有される? そもそも、聖音鳥は何故、聖女を必要とする? 『わたしのおう』を求めるんだ?」

 今の聖女制度を整えたのは、クロエ――シャルロ=カラマイだ。彼は当時のリシュテン侯とともに、聖女に二年の任期と、三つの爪痕の代わりに、噛み痕だけをつける方式での契約を考案し、導入した。もう七百年以上昔の話だ。さらには聖音鳥を鳥籠に入れ、魔術による結界をかけたのもまた、シャルロ=カラマイであるとされている。ここに至るまで彼が何を意図して動いていたのか、二ヴァナは知らない。もはや興味もなかった。ただ、同じく神獣を飼うルタを手に入れたことと、一連のイジュと聖音鳥の報告を受けて、ひとつの仮説を立てた。

「王の契約か。願ったりだな」
「旦那様?」
「今代は、用済みだ」

 眸を眇めて呟くと、意図を汲んだルタは「御意に」とだけこたえ、あとはいつものとおり無言で目を伏せた。


 訪れた月白宮は以前の華やぎを忘れたかのようだった。
 宮殿を守っていた衛兵は門番を残して去り、庭師のいなくなった庭園では水の枯れた噴水に銀灰の雪が積もっていた。宮殿内もどこか閑散としている。使用人が少しずつ暇を出され、別所に移り始めているらしい。ニヴァナ=リシュテンは、変わり果てた月白宮を息をひそめて見上げた。

「ニヴァナ様」

 懐かしい呼び声がかかり、ニヴァナは頭上を仰ぐ。螺旋状の階段から降りてきたのは侍従長のカメリオだった。

「お出迎えも寄越さず申し訳ございません。今日お越しになるとは思わず……」
「近くに用があったのです。遣いもなく、こちらこそすまなかった」

 苦笑し、二ヴァナはカメリオが用意した椅子に座った。数少ない使用人の少女が茶を持ってくる。確かリラといったか。イジュが懐いている風だったので覚えていた。
 
「これからどうされるのですか」
「妻を連れて、私もここを出るつもりです。故郷へ戻ろうかとも思いましたが、しばらくは王都の館で暮らし、ときどきは月白宮にも通おうかと」
「そうですか」
「もしかしたらひょっこりルノ様が帰ってくるやもしれませんからね」

 この三月は侍従長をめっきり老け込ませたが、愛嬌のある笑みは失われてはいなかった。ニヴァナは曖昧にうなずき、それから思い出して「イジュが」と口を開いた。

「イジュが、あなたに会いたがっていました」

『カメリオ……、カメリオに、会わせてください』
『侍従長は今忙しい。すぐ時間を作れるようには』
『いくらかかってもいいです、会わせてください!』

 もうずいぶん前の約束である。今の今まで忘れていたし、イジュ本人ともしばらく顔を合わせていなかった。何故そんなことを急に言う気になったのだろうかと胸中で皮肉めいた笑みを浮かべる。二ヴァナは異母弟である今代の『聖女』をはなから道具としか考えていない。それは本当のことなのに。
 短い沈黙が落ちる。そういえばこの侍従長は、イジュの正体を知る数少ない人間のひとりなのだったと気付き、老人の横顔によぎった複雑な色合いを黙ってうかがった。

「あの子にはかわいそうなことをしました」

 呟き、カメリオはニヴァナに向き直る。

「わたくしごときがリシュテンの聖女様にまみえることは叶わないでしょう。できることなら、あなたが支えてやってください。心の優しい子です」

 ニヴァナは軽く顎を引くにとどめたが、カメリオは何かを祈るようにいつまでも窓に映る世界樹を見上げていた。

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